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「アズミちゃーん! ご新規一名様ー!」
「あいなー! らっしゃっせー!」
広いフロアに所狭しと安い木製の円卓が並び、叫ばなければ給仕同士の疎通もままならないほどに客が詰め込まれた薄汚い酒場のひとつ。お上品でお堅いと評判の帝国とはいえ、有象無象の蔓延る下流街ともなればこんなものだ。
そして帝国立大魔導学院の一般入試を合格した才媛、アズミ・アーセナルであろうともここでは一介の給仕に過ぎない。
「こっちのお席どうぞー! とりあえずお飲み物伺いましょかー?」
「そうだな、エールと味の適当に濃いつまみを二品くれ」
客は薄汚れてこそいたが教会の上級法衣を胸元露わに着込んだ、いかにもガラの悪い神官の男だった。
整髪料ではない、樹木のヤニかなにかで無理矢理オールバックに撫でつけた酷い癖のある金髪。釣り気味の太い眉と愉快げに歪んだ口元は信じる者には安心感を、疑う者には不安感を与える独特のオーラを放っている。
「あいなー! エール一丁! あと、あー、牛すじ炊いたんとバタピーのタレワサで!」
その注文をなにも言わず聞いていた神官の見ている前でアズミは常温の樽から注いだエールのジョッキと肉片に香草の盛られた小鉢、そして乾いた豆に黒いソースと緑の薬味がかかった小鉢を持って即座に戻ってくる。
「あいおまち! なんか注文しゃっすかー?」
神官はつまみを一瞥しつつメニューに目を通して野鳥もも肉の燻製を追加した。旨味が濃く歯応えがあるが少々ならず硬いので好き嫌いの別れるメニューだ。
アズミはメニューについて説明するか一瞬迷ったが、神官を見て(あ、これ慣れた酒呑みやな)と察してなにも言わずオーダーを通す。
神官もまたその仕草を眺めつつなにも言わずエールで喉を潤し、肉片の小鉢にフォークを伸ばした。
脂身というには透き通った部位の混ざった肉片は、こってりとした舌触りに濃厚な煮汁を纏って口内へ広がる。すね肉も似たような味わいだがこれはもうひとつ濃厚だ。
神官はなるほど、俺の注文をよくわかっていると感心する。
となればその娘が通した次の小鉢にも俄然興味が湧いてくる。
乳酪で豆を炒って塩をまぶした定番のつまみが見たことのない黒いソースに浸かり、植物の茎でもすりおろしたのだろうか、緑鮮やかな薬味が盛られている。
神官がちらりと娘を見ると、その視線を察してすすっと傍に来て「まあ食ってみ。ほわーってなるで? あ、ワサビはちいとずつな」と囁いて離れて行った。
「ふむ」
皇国の特産物にそんな香辛料があると聞いた覚えがあるな。ともなれば試してみねばなるまい。
しかし元々手でつまむそれはソースに浸されていて、硬い豆はフォークで口に運ぶにもやや難儀だ。ほんの数秒思案したが指で直接ワサビをつまむとそのまま豆も摘まみ上げて口へ運ぶ。
この四肢この指は女神より賜りしものである。ソースや薬味が少々手に着いたところでなんの無作法があろうか。
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