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お祝い
俺がソファで寝転びながら煙草を吸っていると、エントランスからの呼び鈴が鳴った。美樹が対応している声が聞こえる。
『オホホホホホホホ!』
と耳障りな笑い声が聞こえたので、慌てて煙草の火を消し、部屋を出た。
「あっ、蓮さん。川口先生と宮野さんがお祝いしにきたって・・・」
「ちょっと、宮野君。なんで川口先生と一緒なの」
美樹にかわって対応する。インターホンの画面に映っているのは、眼鏡をかけたもじゃもじゃ頭の大男、川口の満面の笑みだった。
『京極君! そこに居るのはわかっている! 大人しく出てきたまえ!』
「はいはい。今、鍵を開けますから・・・」
俺は嫌々、鍵を開ける。
「お茶、淹れとく?」
美樹がそう聞いたので、
「塩水でいいよ」
と応えた。部屋の呼び鈴が鳴り、俺は鍵を開ける。
「オホホホホホホホ! やあやあ! 『阿藤家殺人事件』の重版が決まった京極君! おめでたいね! おめでとう! で、新妻の美樹ちゃんとやらはどこに隠しているのかな?」
「こ、こんにちは。私が美樹です」
廊下の向こうでひょこっと美樹が顔を出す。川口は嬉しそうに笑った。
「美樹さん! 京極君から噂はかねがね、というか京極君は口を開けば『美樹さん、美樹さん』ってな調子なものでね! ニヒルでクールな京極君が心底惚れ込んだ相手と聞いて、どんな化け物かと想像していたら、普通の女の子じゃないか! ところで美樹さん、甘いものは好きかい!? お祝いにケーキを買ってきたんだけど、食べるかい!?」
「みーやーのー・・・!!」
「ひぃっ、すみませっ、先生、顔が怖いです! 血管がビキビキいってます!」
「あの、甘い物は大好物です。お茶を淹れましょうか? それともコーヒーか紅茶がいいですか?」
「お茶を淹れてくれるかな! じゃ、お邪魔しまーす!」
「お、お邪魔しますぅ・・・」
美樹が二人をリビングに案内する。俺は眉間の皺を揉んだ。美樹が四人分の茶を淹れ、配膳する。
「川口先生、俺、甘い物は好きじゃないんですけど」
「『嫌い』ってハッキリ言いたまえよ! だいたい、このケーキは君にじゃなくて、美樹さんにだよ」
「えっ、私ですか?」
「『阿藤家殺人事件』のモチーフは君の半生だろう? そして、血腥い拷問、惨殺シーンは君が考えたんだろう?」
俺と美樹は目を丸くする。
「どうしてそう思うんです?」
「では、美樹さんに質問だ。復讐はなにもうまないかね?」
「自己満足はうまれると思います」
「では、京極君は?」
「・・・強い感情の原動力が失われるわけですから、暫くは虚無感でいっぱいなんじゃないですかね」
実際、美樹は復讐する相手がいなくなったとき、錯乱して俺を殺そうとしたが、その時に見せた表情は、柊家に居たときの、何の感情もない表情だった。その後の数日間も明るく振舞っていたが、部屋に一人で何をするでもなく、仰向けになってぼうっとしている姿を監視カメラで見て確認している。
「やっぱりね! 『阿藤家殺人事件』の主人公は、復讐という名目のもとに血の繋がった家族を拷問し、惨殺することに快楽を感じている、直情的で猟奇的な人物なんだよ! 京極君はトリックを重視し、復讐劇を書くとしても、虚無感を覚えるような、さっぱりした読後感に仕上げるだろう。でも、今回は違う! いかに相手を苦しめるか、いかに相手を辱めるかに重点が置かれている! 京極君、『君らしくない』のだよ! グロテスクすぎた! あの熱量を文章に仕上げられるのは、『阿藤家殺人事件』のモチーフとなった、『高峰事件』の当事者である美樹さんしかいない! どうだ! ズバリ当たっているだろう!」
川口は胸を張った。
「悔しいけど、当たってますね」
「だろうだろう!?」
「えっ、あんな残虐なシーンを、美樹さんが書いたんですか・・・?」
宮野が化け物でも見るかのような目で美樹を見ている。
「いえ、私はアイディアを出しただけで、文章に落とし込んだのは蓮さんですよ」
「ふぅむ。京極君にとって美樹さんはまさに『ファム・ファタル』だな」
「失敬な。俺は破滅してませんよ」
「『阿藤家殺人事件』のイメージが定着すれば、今までの『京極蓮』としての作家人生は終わりだろう? 実際、今まで出版した本の中で一番話題になっているし、そのうち、一番売れた本になるよ。君の代表作になるのさ!」
「別にそれで構いませんけど」
「構え構え! 次も似たような話を書かないと売れ行きが怪しくなるんだぞ?」
「先生、先生が売れなくなったら僕が困ります」
宮野も勝手なことを言い始めた。
「あっ、でもでも、この売れ行きならまた映像化しますかね? ドラマかな? 映画かな?」
「グロテスクすぎて無理じゃないかい?」
「川口先生、逆ですよ、逆! 序盤で主人公が家族に酷く虐められて、中盤で運命の人と巡り会って『覚醒』して、終盤は溜まったフラストレーションを発散するかのような派手な血飛沫を山盛りにした血みどろの映画にするんですよ! 時代はいつだって『強く美しい女』を求めていますから、きっとウケるに違いありません!」
「宮野君は野望に燃えてるねえ! いいよいいよ!」
美樹がくすりと笑う。俺は頭が痛かった。
「それにしても、『阿藤家殺人事件』は生々しい描写が多くて、僕、何度も読むの挫折したんですよね。あの内容って、その、本当に美樹さんが受けていた虐待なんですか・・・?」
「はい。そうですよ」
「えー・・・。正座させて口の中に煙草の灰を落としたりとか、濡れタオルを何枚も顔に乗せて呼吸困難に陥らせたりとか・・・」
「はい。服の下、見えないところに傷もありますけど、見ますか?」
「美樹さんッ!」
俺の声に、全員が肩を竦ませる。宮野が『しまった』という顔をしていた。
「駄目だよぉ、美樹さん! そういうのは、だ、ん、な、さ、ま! の京極君にしか見せちゃいけないからね!」
空気が読めるのか読めないのか、川口が茶化すようにそう言った。
「ていうかさ、京極君。結婚したよね?」
「はい」
「えっ!? 先生、結婚したんですか?? だ、誰と??」
「宮野君、馬鹿なの? 美樹さん以外に誰が居るのさ」
「あっ、えっ!? うわ本当だ!! 先生、左手の薬指に指輪してるし、美樹さんは・・・」
「私の指輪はネックレスにしてます」
「うわあ!! 本当だ!! あー、いいなあ。僕も結婚したいなあ・・・」
「恵理ちゃんとうまくいってないのかい?」
「実は喧嘩しちゃって・・・。先生と美樹さんは、記念日とかイベント事は大切にするタイプですか?」
「記念日?」
俺と美樹の声が重なった。
「付き合って一ヵ月記念日、三ヵ月記念日、半年記念日、一年記念日、あとはお互いの誕生日と、バレンタインデーとホワイトデー、ハロウィンにクリスマス、あっ、クリスマスイブもですね」
「・・・そういえば、蓮さんの誕生日っていつ?」
美樹がそう言うと、宮野は唖然とした。
「し、知らないんですか? 夫婦なのに?」
「まあ、俺達はちょっと特殊だから。美樹さん、聞いて驚け。八月十一日だよ」
「あらっ? 私が十一月八日だから、数字が逆になってるね」
「ちなみに僕は一月一日産まれだよ!! おめでたい男だろう!!」
「ええ、そうですね」
『頭が』、という言葉は飲み込んだ。
「衝撃だ・・・。結婚相手の誕生日を知らない人がいるだなんて・・・」
「あはは。柊家ではそんなことする余裕がなかったものですから」
「宮野君、余計なことしか言わないね。帰ったら二度と来なくてもいいよ」
「ひぃっ、すみません! わ、悪気があって言ったわけではないですよ!」
「宮野君、世の中にはいろんな人がいるってことだよ。勉強になったね! さて、おいしいお茶もいただいたし、京極君が宮野君の首を引き千切らないうちに帰るとするよ! またね、美樹さん!」
「はい。また遊びに来てくださいね」
「川口先生、次は百年後とかでいいですよ」
「オホホホホホホホ! またねー! ほら、行くよ宮野君!」
「お邪魔しました! 失礼します!」
二人は帰って行った。
「ケーキに手をつけずに帰っちゃったね」
「美樹さんが全部食べちゃいなよ」
「蓮さん、川口先生のこと嫌いなの?」
「・・・あー」
俺はソファーに仰向けに寝そべった。
「小説家として尊敬はしてる。けど、作者と創作物って別のモノとして考えない?」
「ああ、なんとなくわかる・・・」
「でも、まあ、可愛がってもらってる自覚はあるから、次、川口先生が遊びに来たら、美樹さんの判断で家にあげてもいいよ」
「宮野さんは?」
「あいつ一言余計だから駄目。あんなんだから彼女に愛想つかされるんだよ」
美樹は俺を覗き込み、左手をとる。
「せーんせい?」
そして、胸を掴ませる。
「機嫌直して。ね?」
「・・・仕方ないなあ」
「フフフ」
初めて会ったときの美樹はガリガリで、胸も無かったが、今はふっくらと膨らんでいる。これが、『俺の女』だと思うと、堪らなく興奮した。誘拐してよかったと心底思い、その考えが物騒すぎて少し笑ってしまった。
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