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フラッシュバック
「やべえ・・・」
「どうしたの?」
「二人分の分量がわからない・・・」
京極が苦労して運んだ大量の調味料と、今晩のごはんの肉じゃがの素材を前に、私は項垂れた。
「まあ、今までの環境が悪すぎたからね。質より量って感じだったし」
「おいしく作れる自信がない・・・」
「失敗してもいいから」
「いやそんな・・・」
「うーん、あんたの食べたい量の二倍作りなよ。あんた少食だし、俺も少食だし、ちょうどいいでしょ」
「よく知って・・・ああ、ストーカーだったか・・・」
京極の言う通り、今までの環境が悪すぎた。工場で肉体労働をしてくたくたになって帰ってきて、馬鹿二人とガキ七人の面倒を見ながら掃除と洗濯に追われて、よく味わいもせず食べる馬鹿共のために大量に料理を作って、私はいつも残り物を食べていた。思い出すと頭が痛くなる。
「まずい。自分の食べたい量もわからない」
「あらら・・・」
「ああ、あ、と、とりあえず、材料全部使って・・・。い、いやそれだと多い・・・?」
「俺は一週間肉じゃがでも構わないけど」
「お気遣いありがとう・・・沁みるわ・・・」
「いや、本気。材料残しても仕方ないし、全部使っちゃいなよ」
「・・・そうする」
私は丁寧に料理することを心掛け、肉じゃがを作り始める。ピーラーでじゃがいもの皮を剥き、いつもならそのまま切って入れていた人参の皮も剥く。皮を剥いた後も水でさっと洗い、じゃがいもは水にさらしてアクをとる。鍋に少量の油を入れて温め、肉を焼き、火が通ったらじゃがいもと人参をくわえて水をひたひたにし、しつこいくらいにアクを取る。アクが出なくなったら調味料を入れ、煮込む。出汁を小皿にとり、味見してみる。具材に味をしみこませるために少し濃い方が良いはずだが、ちょうど良い濃さなのか全く分からない。じゃがいもを割って味見してみるが、こちらもわからない。
「京極さぁん」
「なに泣きそうな声出してるの」
「ちょっと味見して・・・わかんないよ・・・」
「はいはい」
京極が味見をする。私はどきどきした。
「ん、うまいじゃん」
「本当?」
「うん。飯にしよう」
緊張の料理が終わり、私は心底安心した。白米と肉じゃがを器に盛り、ペットボトルの茶をコップに入れてテーブルを囲む。京極は静かに食べる。私はストレスが溶けていくのを感じた。実家では、両親は常にくちゃくちゃ水音を立てて咀嚼していたし、弟と妹にはなんとか口を閉じて食べるよう躾けたが、その日の気分、つまり私に対する反抗として口を開けて食べるときもあったし、口を閉じて食べていても『コッコッコッ』という、歯が強い力で高速で噛み合わされる音が響いていた。少しでも多く食べて腹を満たそうと競争するため、よく味わいもせず噛む音だ。思い出すと食欲が失せる。
「どうしたの? 多いなら残しなよ。俺が夜食に食べるし」
「大丈夫。なんか、家に居た頃はずっと何かしらの音がしてたから、こんなに静かだと変に緊張して・・・」
「テレビつけるか?」
「ううん。いい。静かな方が落ち着く」
「そう。話はしてもいい?」
「いいよ」
京極は、音もなく咀嚼し、きちんと嚥下してから口を開いた。
「あんた、俺が怖くないの?」
私は苦笑する。
「変だよね。怖くない」
「変だね。媚を売ってるようには見えないんだよ」
「だって京極さん、あんまり怖くないもん。無理強いしないし」
「フフ、『あんまり』なんだ。まあ、俺も極力、あんたが嫌がることはしたくないかな」
「こんな不細工のどこが良いんだかさっぱりわからないよ」
「不細工? まあ、美醜は人の主観によって違うけど・・・。あんたは可愛いよ」
間違ったことは言っていないが、さっぱり理解できなかった。
「でも・・・」
「でも?」
京極は口元を手で覆い、視線を横に反らした。
「・・・キスとか、したいかな。そのうち」
「い、いいよ」
鋭い目を見開いて、京極が固まる。
「・・・じゃあ、おやすみの前に」
「うん」
京極は照れくさそうに笑った。食事を終え、食器を片付け、京極は仕事のために仕事部屋にこもる。私はソファに寝転がって本を読み、十時になったら風呂を沸かして入る。私が出た後に京極が入り、その後、二人揃って歯を磨く。私はいつもより念入りに歯を磨いた。
「そうだ。あんたの服、なんとかしないと」
私は京極の服を着ている。下着は履いていない。
「ストーカーなのに、私の服、持ってないの? パンツとか一番最初に狙いそうなもんなのに」
「だってあんた、ただでさえ服を持ってないのに、『おさがり』とか言ってガキに取られてただろ」
「そうだったわ・・・」
転職を考えて面接用のスーツをこっそり買ったときも、勝手に鞄を漁られて『生意気だ』とか言って目の前で鋏で切り刻まれたのを思い出した。
「あー、パンツ無いのは困るかな。生理がくるから・・・。服は着られればなんでもいいよ。しいていうなら肌触りが良ければなんでも」
「俺の服、嫌?」
「ううん、別に」
「・・・まずいな」
「何が?」
「正直、むらむらする」
「早急に服買ってきて」
「サイズわかる?」
「上も下もMサイズだよ。下着はスポブラと、安売りされてたパンツだからわからない」
「スポブラ?」
「スポーツブラジャー。百円で売ってるやつ」
「・・・悲しくなってきたよ。ちゃんとしたの選ぼうね」
「ありがとう」
ちょっと涙が出そうになった。寝室に移動する。京極のベッドの横に、予備のマットレスを置いてシーツを敷いたものが私の寝床だ。
「じゃ、おやすみなさいのキスしようか」
「うん」
京極は私の頬を両手で掴み、ゆっくりと唇を近付けた。
その時だった。
父に覆い被された瞬間がフラッシュバックした。
「う、オエッ」
「え?」
マットレスの上に私の吐瀉物がびちゃびちゃと飛び散る。
「あ・・・。ああああああ!! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
「落ち着いて、怒ってないから」
「違う、違う!! い、今、親父の顔が浮かんできて、それで・・・!! ごめんなさい!! ごめんなさい!!」
「大丈夫。怒ってないよ。怒ってないからね」
京極は服が汚れるのも気にせず、袖で私の口元を拭い、私が落ち着くまでそっと見守っていた。
「まだ気持ち悪い? ここで吐いてもいいからね」
「も、もう大丈夫・・・。あの、ごめんなさい。服と、ベッドが・・・」
「洗濯すればいいから。シャワー浴びておいでよ。替えの服、置いておくから」
「うん・・・」
脱衣所で服を脱ぎ、シャワーを浴びる。浴室の外で動く京極の気配を感じる。気まずくてなかなか出られなかった。京極が居なくなってから浴室を出て、再び念入りに歯と舌を磨いた。寝室に戻ると、汚れたマットレスは無くなっており、床も綺麗になっていた。ベッドに腰かけた京極が、自分の隣をぽんぽんと叩いて招く。私はそこに座った。
「大丈夫?」
「うん。歯も磨いてきた」
「俺、今日はソファで寝るから、ここで寝な」
「え!? いや、私がソファで寝るよ」
「は? 駄目に決まってるでしょ」
私は頭を抱えた。
「京極さん、一緒のベッドで寝るのは、アリ?」
「・・・あんた、無意識に俺を煽りすぎ」
「え!?」
「安心してよ。俺はあんたの父親とは違うから」
京極は私の手をとると、爪先にそっと口付けた。
「はい、おやすみなさいのキスだよ。寝ようね」
一つしかない枕を私に押し付けて、京極は背を向けて寝てしまった。
「・・・おやすみ」
私はベッドに潜り込み、京極の背中を見ながら寝た。
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