ほろ酔い

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ほろ酔い

「美樹さん。頼まれたもの買ってきたよ」 京極は大量の荷物をどさりと降ろした。 「服と下着と生理用品。掃除用具と調理器具と、その他、細かい生活用品」 「京極さん、ありがとう」 「それと、こっちの二袋はあんたのおやつ」 ビニール袋が丸くなるまで詰め込まれた大量の甘いものに、私は嬉しすぎて感情がうまくまとまらず、結果困惑する。 「え、こ、こんなに・・・。こんな贅沢が許されていいの・・・?」 「好きなだけ食べていいよ」 「いや・・・いや・・・。少しずつ食べないと感情が爆発しそう・・・」 京極は苦笑した。 「貧しい暮らしとはおさらばだよ。少しずつ慣れていけばいいさ。しかし悪いね、空いてる部屋が狭い物置しかなくて」 「いいよ。物置といっても掃除機と本が置いてあるだけだし、寝るときは寝室で寝るし」 「今度、組み立て式の棚を買ってくるから、暫くの間、あんたの私物は床に積んでおくことになるね。ごめんね。掃除機は見栄えが悪いからって物置に押し込んだものなんだ。後でリビングの隅に運ぶよ。本は仕事部屋から溢れたものだから、なんとかするよ」 「うん。早速着替えてきていい? パンツ履いてないとなんか落ち着かなくて・・・」 「いいよ。荷物の整理もゆっくりしてきて」 京極が私の私物となるものの詰まった袋を全て物置に運んでくれたので、私は一度、全部袋から取り出して中身を整理する。 「・・・可愛い服ばっかり。靴下も猫ちゃんかよ」 ズボンが二着しかない。材質はわからないが、よく伸びるジーンズと、ゆったりとした黒いズボン。他は全てシャツやブラウス、スカートやワンピースだった。パジャマは三着。ピンクと水色と薄い緑のもの。下着は百円のスポーツブラジャーより着心地も機能性も高そうなスポーツブラジャーと、ちょっと攻めたデザインのパンツ。 「最後にスカートを履いたのって高校卒業の時だっけ・・・」 とりあえず、今着る服をよけて他の服は値札シールをとって綺麗にたたみ、その他の生活用品も手に取りやすいように床に並べた。黒いスポーツブラジャーと黒いパンツを着て、黒い靴下を履く。白い襟に紺色のワンピースを着て、京極の居るリビングに戻った。 「お待たせ」 「フフ、可愛いじゃない」 ソファに足を組んで座り、煙草を吸っていた京極が笑う。ばさり、と紙の束をテーブルの上に投げた。 「駅前で配ってたよ」 私は紙の束を手に取り、絶句する。 「顔写真は高校の卒業アルバムのもの。文章は手書き、身長も体重も、その日着ていた服の情報も間違ってる。いかにあんたがないがしろにされていたかがよくわかるね」 行方不明になった私の情報を求めるためのチラシだった。私は引き攣った笑いを浮かべた。 「気持ち悪い・・・」 チラシをテーブルの上に投げつけ、飛び込むように京極に抱き着く。 「おっとっと、積極的なのは嬉しいけど、煙草吸ってるときは駄目だよ」 「怖い・・・やだ・・・怖い・・・!」 「美樹さん?」 私は身体の震えが止まらなかった。探してる。地獄の悪鬼共が、私を探して地獄に引きずり込もうとしている。 「やだ! やだやだやだ! 怖い! あいつらが怖い! 戻りたくない! 絶対に帰りたくない!」 「美樹さん、落ち着いて」 「ううー・・・」 京極の胸に顔を埋め、私は必死に呼吸を繰り返す。京極が私の後頭部を撫で、額に唇を寄せた。 「ごめん。嫌なこと思い出させちゃったね。大丈夫だよ。俺が守ってあげるからね」 「本当に? 私のこと嫌いになったりしない? 飽きたりしない? 面倒臭くなって捨てたりしない?」 「そんなわけないでしょ。大好きだよ、美樹さん」 私は漸く、呼吸が落ち着いた。 「・・・私があなたのことを嫌いでも?」 「好きにさせてみせるさ」 京極の煙草はほとんどが灰になり、今にも落ちそうだった。 「あっ、煙草煙草!」 私は慌てて京極から離れる。京極はそっと、煙草を灰皿に捨てた。 「ごめんなさい」 「いいよ。美樹さん、お酒飲んだことないよね?」 「ない」 「じゃあ飲もうよ。いろいろ買ってきたから」 京極はキッチンに行き、コップを一つと、酒の入った二本の缶と二本の瓶を持ってきた。それをテーブルに並べる。 「酒は何が好みかわからないから、いろいろ買ってきたんだ。余ったら俺が飲むから好きなの選びなよ」 「え、どれにしよう・・・」 チューハイ、ビール、ワイン、日本酒。 「・・・京極さん、今、気付いたんだけど」 「うん?」 「私、自分の好みがわからないのかも」 京極は目を見開いた後、少し顔を顰めた。 「そっか・・・。氷砂糖齧ってたんだもんね」 「ごめんなさい」 「・・・ねえ、自分が悪くないことで謝らないで。辛いでしょ、そんなことするの」 「え、でも、折角買ってきてくれたのに」 「俺はあんたを喜ばせようと思って行動してるの。なのに、謝られたら悲しいよ」 「ごめ、あ、ああ・・・。ありがとう」 少し呆れたように京極は笑った。 「全部開けて、コップに少し注いで飲み比べしなよ。残りは俺が飲むから」 「え、この量を?」 「うん。俺、酒は強いから平気。それに、度数もそんなにないしね。・・・これとかどう? 甘そうだから気に入ると思うんだけど」 『リンゴ』と書かれたチューハイを、京極が勧める。私はそれをコップに少し注ぎ、舐めるように飲んだ。 「うぇっ!? 苦い!! あとぱちぱちする」 「え? 苦いの? ちょっとちょうだい」 私はチューハイの缶を手渡す。京極はそれに口をつけ、首を傾げた。 「・・・だいぶ甘いけど」 「苦いよー・・・」 「なるほど、美樹さん、酒は駄目なのか」 「これ炭酸? ぱちぱちするのも喉が・・・」 「ワインと日本酒以外は炭酸入ってるよ。炭酸も駄目か」 「ワインは甘い?」 「甘口のを買ってきたけど・・・」 葡萄のイラストが可愛らしい赤ワインの瓶を開けてコップに注ぎ、飲んでみる。 「あええ、苦い苦い・・・」 京極に手渡し、京極が飲む。 「・・・うん、甘い。アルコール独特の苦みが駄目なんだね」 「あれ? ちょっと眩暈がするかも」 「酔っちゃった? 気持ち悪くない?」 「あ、これ、酔ってるのか・・・」 ソファの背凭れに身体を沈める。 「あんた、俺が元ストーカーだってこと忘れてない?」 「んえ?」 「無防備すぎるよ」 ゆっくりと私をソファに寝転がらせ、腕を伸ばして覆い被さり、髪を撫でる。その顔は、優しく笑っていた。 「『元』ストーカーなんだ。今は、なんなの?」 「誘拐犯でしょ」 「恋人じゃなくて?」 ピタリ、と京極が静止する。そして口元を手で覆い、視線を逸らした。ああ、照れているときの仕草なんだ、と私は理解した。 「冗談でも言っちゃいけないよ、そんなこと。本気にしたらどうするの」 「本気で言ったんだけど」 京極の白い肌が真っ赤になる。いつもは真っ直ぐ目を見て話す京極が、口元を手で覆ったまま俯く。 「ゆっくりなら、キスしても大丈夫かも」 まだ感覚が麻痺しているのか、それとも人生で初めて酒に酔っているのか、本気なのか、自分でもよくわからない。 「駄目。今、キスしたら、止まらなくなる」 「変な人。ストーカーや誘拐犯って、目的の人を家に連れ込んだら、監禁してレイプしたり殺したりするんじゃないの?」 「あんただって変な人だろ。監禁されてレイプされたり殺されたりするかもしれない相手を、恋人呼ばわりなんて」 「そうだね。わけわかんない。でも、私、人生で今が一番幸せだし、京極さんのこと、大好きだよ」 大きなため息を吐いて、京極は私の胸に顔を埋めた。私はそっと、髪を撫でてみる。 「あとになって『あの時は酔ってました』なんて言い訳は通用しないからね」 初めて享受するこの感情が、愛なのかもしれない。なんて心地良いんだろう。身体の奥底から温かいものが広がって、胸が苦しいくらい満ちていく。今にも溢れてしまいそうだ。この溢れそうな感情が、愛なのだろうか。京極蓮という男に対する、柊美樹の愛。私は初めて、人間を愛しているのかもしれない。 この生活が永遠に続きますように、と、私は初めて神に祈りを捧げた。
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