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教会放火、悪魔崇拝。
そんな言葉で語られる音楽、好きだとバレたらどうしよう――――
「賛美歌ですが、悪魔に捧げるつもりで歌いましょう!」
声楽の先生が満面の笑みで言った。
「えっ」
俺は思わずフリーズした。目の前にいる恰幅の良いバリトン歌手は、熊のぬいぐるみを思わせる癒し系な笑みを浮かべている。俺は物騒な発言が周囲に聞こえていやしないかと焦ったが、ここは音楽教室の練習室だ。防音はバッチリである。
「悪魔……ですか」
心の中で冷や汗をかく俺に、先生が顔芸をする。
「悪役はこう、目を見開いて笑うんです。歌うときは目を閉じ苦しそうな感じではなく、極悪人になりきって歌いましょう。さあ、『さっき七人くらいバラしてきました』という感じで、もう一度!」
なんだそれ。
まるでデスメタルかブラックメタルじゃないか。
先生の伴奏が流れ、俺は慌てて歌う体勢に入った。
何故こんなことになったのか? 話は一ヶ月ほど前にさかのぼる。
バンド活動を辞め、カラオケもろくに行かずくすぶっていた俺は、なんとなく行った楽器店でとあるチラシに足を止めた。
『芸術の秋! 三ヶ月トライアルレッスン』
併設された音楽教室のチラシだ。よくよく見れば楽器だけではなく、ボイストレーニングもある。さらによく見れば声楽もあるではないか。かつてバンドで歌っていた頃の記憶が、オペラ歌手がいたメタルバンドへの憧れが蘇り、気づけば体験レッスンを申し込んでいた。
講師の先生は二人いたので、予定が合いそうな、もとい「ロックやメタルが好きと言っても怒られなそうな」方を選んだ。音楽教室のスタッフさんは馬鹿にしたりなどせず、ロックがお好きでしたらこちらの先生ですねと教えてくれた。アンケートには「好きな音楽家・ミュージシャン」の欄があったのでオペラ歌手がいたシンフォニックメタルバンド・Nightwishの名前を書く。
さすがにデスメタルやブラックメタルは怒られるだろう、と思いながら。
そして二週間ほど待ち、体験レッスンを終えて、さっそく練習曲を手渡されたわけだが。
なんと、賛美歌「Amazing Grace」だったのである!
(いやいやいや一応ブラックメタル好きとしてこれはヤバいぞ……賛美歌なんて歌ったら仲間に何て言われるか。しかも今日はクリスマスイブじゃないか。キリスト教の祝日に賛美歌なんてまるでクリスチャンみたいじゃないかっ……!)
俺の焦りとは裏腹に、歌声は美しく広がってゆく。
声楽は初心者だが、かつてバンドで歌っていた経験が活きるとは思わなかった。先生曰く「歌ってきた人の声をしている」らしい。まあ声楽とは真逆の発声で歌う物騒なメタルなんですけどね……と思いながら、神の愛を讃える。
俺はファッション無神論者の単なる無宗教で、これといった信仰も持っていない。強いて言うならお坊さんはエロいから好きだ。だが音楽とは不思議なもので、歌っているうちに、本当に神の愛を讃えるような気分になってくる。「How sweet the sound」と歌えば自分の声の甘美さに驚き、「That saved a wretch like me」と歌えば、俺みたいなクソ野郎を救ってくれてありがとう、という気分になってくる。そのとき俺の脳裏には、ブラックメタルやデスメタルのミュージシャンたちが浮かぶ。
そうだ。
何もキリスト教の神を讃えなくたっていい。
生きることが苦しくて仕方なかったとき、デスメタルに救われた。
自殺したくても怖くて出来なかったとき、代わりに自殺してくれるようなブラックメタルに救われた。
俺はバンド活動に向いていないんだ、と泣いたとき、一人ブラックメタルバンドの存在に救われた。
彼らにとっての神は、俺にとってのデスメタルであり、ブラックメタルであり、ミュージシャンたちだ。
「Was blind, but now I see……」
歌い終えた俺は、自分が涙を流していることに気づき。
先生の、熊のぬいぐるみのような笑顔に癒されたのだった。
これが、俺の、初めての声楽の思い出だ。
「クリスマスイブに賛美歌とかwwwwww」
「裏切り者wwwwwww」
ブラックメタル仲間にはめちゃくちゃ笑われたけど。
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