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『ぬこ』が誕生して私の心が穏やかになったかというとそんなことはない。依然として私が大好きな「ねこパンチブログ」は「いぬパンチブログ」のままだからだ。私の狭い世界だけでは効果は限定的だ。世界的に拡散されなければ猫は『ぬこ』として犬カテゴリーから独立できない。由々しき事態だ。  それが天啓であるかのように煌めいたのは休日のショッピングモールで動物を見たいという妹の願いを聞き届けてペットショップに立ち寄ったときだ、自転車に乗って。ガラス張りの個室には「もとから犬であった犬」と「かつて猫であった犬」が展示されている。猫であるはずなのに犬と書かれていて「かつての猫」も「犬」もぜんぶ「犬」。このカオス状態を明確に分けて説明、展示できれば『ぬこ』独立に芽が開ける。 「こっちの犬、ニャ~ってないて可愛い~」とか「こっちの犬、犬タンクになってて可愛い~」とか私にはもう違和感しか残らない。だから妹に言ってやった、かつて猫だった犬は『ぬこ』と掲示すればややこしくならないどころかわかりやすくなるのではと。店員さんに提案してあげると。 「え? なに? ぬこ? 姉ちゃんだいじょぶ? 『ぬこ』ってなに? またいつもの妄想さく裂してるみたいだけど熱あるの? このまま腦病院に行こっか?」  ポッキー食べよっかみたいな軽いノリで言ってくれるが私の腦は至って正常だ。私いがいが妄想しているのだ。こうやってマイノリティはいつも世界の片隅に追いやられる。歴史が証明している。しかも癖が強いマイノリティは変人扱いだ。というか私は脳みそが溶けていた。だからマイノリティ以前に変人だった。それは認めよう。だが私は妄想していない。妹を含むマジョリティが妄想しているのだ。しかしそれを言ったところで私は癖の強いマイノリティだ。変人扱いを受入れるしかない。変人だから。  私はずんずん奥に進んだ。待ってよ姉ちゃんと呼び止める妹を置いていく。妄想する妹に用はない。私はかつて猫だった犬たちを愛でる客たちをかき分けてぐんぐん進む。店員さんにたどり着くなり迷わず話しかける。 「あの、『ニャ~』ってなく犬ですけど『ぬこ』って呼ぶのはどうでしょう?  『ワンッ』って吠えるほうは『犬』のままで。体形や性格とかタイプがぜんぜん違うじゃないですか? だから分けたほうがなにかと都合よくないっすか?  ほんとうは『ねこ』がいいんですけど『ぬこ』でいいです。妥協します。どうです? 私はそう感じるんですけど。すとんと落ちるんですけど」  女性の店員さんは目を丸くしている。当惑している。店長を呼んできますので少々お待ちくださいと言い残すとそそくさとバックルームへすがたを消した。 「なんか姉ちゃんクレーマーっぽい不審者だよ、やめようよ」と隣でささやく妹のむこうからさっきの女性店員のヒステリックな声が聞こえる。 「『ねこ?』『ぬこ?』がどうのこうの言うヘルメットすがたの変な人いるんです、分けたらいいんじゃないかって言ってくるんですけど、なに言ってるのか意味ぜんぜんわかんないし、目が座っててヤバイ感じだし、なんかすごくキモイです」 「あ~、もうすぐ春だからねぇ。あったかくなってくるとさ、脳みそのなかでお花が咲いちゃってさ~、自転車のってお散歩ついでにそういう妙な輩がふらっと入って来ちゃうんだよねぇ~、ちょっと迷惑だよねぇ~、あ、私が対応するから大丈夫ですよ、ありがとう」  目が座っているとは私のことか? そんなにヤバイのか? 妹は垂れ目。どちらかというと私はつり目。やはり私のことか? しかもキモイと。キモイは友だちから言われて慣れている。キモイ≒私。つまり私のことだ。あの女性店員のひがみか。私は可愛いからなに言われても平気だけど。 「なにかご意見をいただいたそうで~」と店長と思しき眼鏡のおじさんが現れた。胸のネームプレートに西安とある。ふくよかな体型でスラダンの安西先生のようだ。私は心のなかで西安さんを安西先生と呼ぶことに決めた。 「犬がいっぱいいるじゃないですか?」 「はい、おりますよ~」安西先生は穏やかに答える。 「『ニャ~』ってなく犬と『ワンッ』って吠える犬がいるじゃないですか?  その2つのタイプの犬は体形もちがうし性格もちがうし、なにより同じ犬なのにデフォルトでなきかたが違うじゃないですか? 馬は『ヒヒ~ン』で牛は『モオ~』じゃないですか? そういう意味合いから『ニャ~』ってなく犬を『ぬこ』って呼べばわかりやすくなるんじゃないかなぁと思いまして」  妹はくびをふって両手であたまを抱えている。頭痛と眩暈に襲われたのだろう。こういう場面でときどき目撃する。  安西先生は二重顎に指をそえて考えこみ「なるほどねぇ~」と呟く。「その『ぬこ』って呼び名はあなたが考えたんですか?」  そうですと私が胸を張って答えると安西先生は強く頷いた。優しい微笑みがあふれている。圧倒的な善人か裏表あるたちのわるい悪人かのどちらかだ。脳みそが溶けている私にはわからんけど。 「良いアイディアですね〜、ぜひ検討させてくださ〜い」  安西先生は客に呼ばれると丁寧にお辞儀したが、去り際に感じたあの眼差しの冷たさ。友だちのそれと同じだ。私を憐れみ蔑む目。そんなにめんどうくさいのか私は。 「なんかよくわかんないけど良かったね」  妹はそう言う。良かったのか? あんな目で見られて良かったのか? ま、私は可愛いからどんな目で見られようがかまわんけどね。
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