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両目から涙がこぼれ落ちた。幸いなことに、先生は俺に背中を向けており、俺が泣いていることに気づいていない。鼻水をすすらなければ、多分バレないはずだ。腕を目に当てて、パーカーに全部吸い取ってもらうことにした。
ふっと空気が動いた気配がした。
「泣いてるんですか?」
先生の声が真正面から聞こえた。頭の上に何かが乗せられる。ぽんぽん、と二回叩かれて、離れた。先生が俺の頭に触れたのだと思ったから、その場にしゃがみ込む。両膝の間に頭をうずめる。どうしても、泣いているところは見られたくなかった。先生の嘆息が聞こえた。
「こんなに我慢して。君は馬鹿ですね」
先生の「馬鹿」はなぜか嫌じゃない。誰よりも一番優しくて、慈愛に満ちているような気がする。おかしいよね。まだ会ってから一週間しか経ってないのに。
俺は何も言葉を返せない。今喋ったら、先生に「俺は号泣しています」とアピールすることになってしまう。
「大丈夫ですよ。『馬鹿って言われると、本当に馬鹿になる』が嘘であることを、僕が証明してみせます。君が誰に『馬鹿』と言われようと、君の価値は下がったりしない。君が自分自身を信じられないのなら、君の分まで僕が信じます」
何かがつま先に触れた。少しだけ顔を浮かせて足元を見ると、ボックスティッシュとごみ箱が置かれていた。
「すみませんが、お手洗いをお借りします。家でコーヒーを飲みすぎたようです」
先生はそう言って、小さく笑い声を漏らした。フローリングがきしむ音が聞こえ、やがて、カチャと静かに扉が閉まる音がした。
俺は五秒ゆっくり数えてから顔を上げた。先生は部屋にいなかった。ティッシュで顔をぬぐう。すぐにぐちゃぐちゃになってしまうので、新しい紙を取った。鼻をかむと、耳にまで空気が抜けていった。
ごみ箱に使い終わったティッシュを入れていく。心に溜まっていた何かを体現した姿のように感じる。ティッシュでいっぱいになったごみ箱を見て、不思議と心がないでいくような気がした。
――先生が戻ってくる前に洗面所に行こう。
立ち上がって、扉を開けた。部屋の外は、いつもよりもなぜだかまぶしく見えた。
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