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不満げな顔でもぐもぐと口を動かす悠里は、リスみたいだった。甘さを感じたのか、徐々に表情が明るくなっていく。
「美味しい。……でも、どうせなら、先生がくわえてたヤツを食べたかった」
悠里が唇を尖らせた。
「なぜです?」
「そっちの方がもっと美味しそうだったから」
「……馬鹿なんですか? 全部同じ味です」
かわいい。そう思えば思うほど、僕の思いは純真な悠里を穢してしまっているのではないかという恐怖に襲われる。
「先生」
唾を飲み込んだのだろう。悠里の喉仏が動いた。ごくんという音が聞こえてきそうだった。大切な話が始まる予感がした僕は、わがままを言いたくなった。
――こんな時くらい、名前で呼んでほしい。
「もう『先生』じゃありません」
拗ねた声が出てしまう。恥ずかしい。
「健人さん」
「はい、なんですか?」
僕はずるい。自分だって、悠里の名前は心の中でしか呼べないくせに。
「……今日は赤くならないんだね」
「大人ですから、慣れました」
嘘だ。悠里に名前を呼ばれると、背中を何かが駆け上がっていくような感覚がある。それを必死に堪えているだけだ。
「俺、健人さんのことが、すき」
悠里が僕と目を合わせて言った。悠里の感情はいつも真っ直ぐだ。それを目の当たりにするたび、素直になれない自分の汚さやずるさを責め立てられているような気がしていた。悠里と向き合う時は、後ろめたさがつきまとっていた。
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