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「美奈子さんに相談してみてよかったわぁ。健人くん、引き受けてくれてありがとね」
母さんの声が普段よりワントーン高い。笑顔というよりも、筋肉が緩みまくったような母さんの顔を見れば、彼のことを一目で気に入ったことが分かる。
「いえ」
俺たちの向かい側に座っている彼は、短く応じると、母さんが差し出した湯飲みに手を伸ばした。
母さんは、俺の隣の椅子に腰掛けながら話を続ける。
「悠里ね、全然勉強ができないの。家で勉強してるのも見たことないし、心配で。三年生になるまでになんとかしてあげたい、と思ってたところだったのよ。ほら、高校二年生の三学期って大事でしょう?」
最後のは担任の先生の受け売りだと思った。入学式、終業式、始業式など、節目ごとに言われているから、逆に大事ではない時期はいつなのだろうかと思ってしまう。それに、言われなくたって、俺はどんな時も大事に生きてきたつもりだ。
俺がむっとしていることに、母さんは気づいていない。その目には彼しか映っていない。恋する乙女のように頬を赤らめて、嬉しそうにしている母さんを見るのは、なんだか面白くなかった。
「でも、調べてみたら塾も家庭教師も高いのね。夫を早くに亡くしてしまったから、あまりお金に余裕はないし、悠里が大学に行きたいのかも分からないし、迷ってたの。だから助かったわ。健人くんはA大の教育学部なんだって?」
「はい」
彼はそこでなぜだか俺の方をチラリと見てから、母さんに再び視線を戻した。
A大というのは、隣の県にある国立大学だ。俺たちが住んでいるのは雪の多い田舎だが、A大がある県は栄えていて、この辺の地方では一番規模が大きい大学だった。学年の順位を下から数えた方が早い俺からしてみれば、A大に通っているというだけで、雲の上の人みたいに感じられる。
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