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「どうしたの、香澄ちゃん……彼氏が轢き逃げされたから車が気になるのは分かるけど、俺は」
気色悪い猫撫で声の言葉を、香澄は遮った。
「どうして轢き逃げされたって知ってるんですか?私と春也の家族しか知らないのに」
作り笑いが抜け落ちた香澄の顔に残ったのは、どす黒い憎悪だけだった。そしてその手には、包丁が光っている。
ずっと……ずっとキャベツやトマトやきゅうりを鮮やかに切ってきた、馴染みの包丁が。俺に、心のこもった料理を作ってくれたあの愛しい手に。
駄目だ。香澄、その包丁は、その手は、そんなことに使っちゃ駄目だ。
体を張って止めようとしたが、俺の体は霧のようにすり抜けるだけだった。
香澄が一歩踏み出したとき、男は這いつくばったまま玄関へと逃げた。
「し、知らない!俺は何も知らない!」
男は叫ぶと、靴も履かずにドアを開け放ったまま走って行った。
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