第18話 それでは戦を始めましょう

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第18話 それでは戦を始めましょう

 王宮舞踏会の前日に夜会が開かれることになりました。  夜会に招かれるのは未婚の男女のみ。  おそらくユリアスは、この夜会でダンスの相手を決めるつもりでしょう。 「フラウお嬢様。こちらのドレスを──」  夜会を明日に控え、私はミアに出してもらったドレスを眺めていました。  タフタ生地の赤いドレス。  私はこれまで赤色のドレスを身に着けたことがありません。  赤はフレイムローズの色。  着ればアシュリーが狂ったように怒り出すのが目に見えていましたし、それに──私とお兄様が同じ家の人間であり、決して結ばれることはないのだと思い知らされる色だから。  ですが、今はそのようなことを言ってはいられません。  公爵家の名誉。  そして何より、お兄様の期待がかかっているのです。 「本当に、よろしいのですか?」  かすかに震える声でミアが尋ねます。  彼女の手に握られた大きなハサミ。冷たく光るその刃に私の瞳が映っています。 「ええ。お願い」  夜会という名の戦場で、私は生き残らなければならない。  敵はヒロイン。  正攻法では勝てません。  ミアが慎重にハサミを入れるのを、私は黙って見下ろしていました。  戦いの舞台が幕を開けました。  お兄様は仕事があるため、夜会には参加できないとのこと。  ですから、群がる悪い虫どもを叩き落す必要はありません。皇太子攻略だけに集中できます。  そして今、お兄様に代わって私の隣にいるのは── 「…………………帰りたいわ。もう。帰りたい」  このところすっかり元気のなくなったアシュリー。  背中を丸めてぶつぶつ呟き、全身から悲壮感を漂わせています。 「まあ。お姉様ったら、パーティーはまだ始まったばかりですよ?」 「どうして……この私が……どうして……」 「今日は張り切って私の引き立て役になってくださいね?」 「…………はい……」 「お返事が小さいと、殿下にお姉様のポエムを読み上げてしまいそうですわ」 「はいぃ‼」  ビシッと背筋を伸ばして元気よくお返事するアシュリー。  すばらしいですね。たくさんの令息令嬢のみなさまが、クスクス楽しそうに笑っていらっしゃいます。  普段は赤を好んで着るアシュリーですが、今宵は私が指示したからし色のドレスを身に着けています。姉妹で同じ色を着るのは見栄えが悪いですからね。それに、むしろこちらの色のほうが彼女には似合っているような気がいたします。  私はもちろん、今日のために用意した真紅のドレス。片側にはスリットが入っています。その隙間からちらりと覗く足首に男性の視線が集まっているのを感じます。見えそうで見えないものを尊ぶこの手の文化はこちらの世界でも健在のようですね。 「ふふふふふふっ」  と、どこからともなく聞こえてくる笑い声。  反射的にアシュリーの手をぐいと引っぱって背の高い男性の陰に隠れました。「うぎっ⁉」と本気で痛そうな声が聞こえましたが、緊急事態なので仕方ありません。  間一髪でしたね……。  会場の入り口に現れたエリシャがきょろきょろと辺りを探っているのが見えます。こちらの位置はバレていない様子。  ほっと息をついていると、 「これはこれは。今宵の主役じゃないか」  壁になってもらった男性のうちの一人が話しかけてきました。  真っ青な髪にブルーの瞳。細い銀縁のメガネをかけ、胸ポケットには万年筆を差しています。 「お、なんだ。お前の知り合いか?」  隣にいた男性もこちらを振り向きました。漆黒の髪に漆黒の瞳。がっしりとした体格で、背は二メートル近くもあります。  二人を見上げながら、私は冷静にその名前を記憶から引き出しました。  彼らは《帝国七血族》の一員。  青髪はエリオット=アズール。《紺碧》アズール家の次男で、私より二つ年上の幼馴染。  黒髪はアイゼン=ブラックウィンド。《漆黒》ブラックウィンド家の長男で、二十四歳にして近衛騎士団の副団長を務めています。  ……これは思わぬ人物と遭遇しましたね。 「エリオット、ひさしぶりね。アイゼン様、初めてお目にかかります。フラウ=フレイムローズと申します」 「ああ! 君があの《白銀の薔薇》か。殿下が大層お気に入りだっていう。なるほど、確かに今宵の主役だな」  そう言ってアイゼンは豪快に笑いました。  笑い声がエリシャにまで届きそうで、私は内心ひやりといたします。 「今宵は独身者の集まりですから、この場にいる全員が主役ですわ。……ところで妹さんはいらっしゃらないのですか?」 「ん、アイラのことか? 今日はいないな。君、うちの妹と知り合いなのかい?」 「いえ……。ただ、噂はかねがねお聞きしています。騎士見習いをされているとか。とても勇敢な女性なのでしょうね」 「うーん。勇敢というか、男勝りというか……。剣の腕だけなら一族でもずば抜けた才能だからな。女にしとくにはもったいない奴だよ」  ……ふむ。  彼女が会場にいるなら、あの日お兄様と一緒にいた理由を聞き出そうと思っていましたが。残念です。  と、エリオットが私の顔をまじまじと見ていることに気づきます。 「どうかしたの? エリオット」 「いや……本当に社交的になったよなーと思って。ついこの間までパーティー嫌いの引きこもりだったくせに」 「あら。あなただって似たようなものじゃない」 「それはそうだけど。本当は、今日も家でやりたい実験があったんだけどなぁ。母上が行ってこいってうるさくて」  学者肌のアズール家の中でも、エリオットは筋金入りの研究体質。小さい頃からおかしな実験ばかりしていました。  同じ陰キャ気質として、私とは昔から妙に馬が合うのですが。 「昔は『大きくなったらお兄様と結婚する!』って言ってのになぁ」 「変なことを思い出さないでくれる?」 「だってすごかったじゃないか。『兄妹で結婚すると死刑になるぜ』って僕が言ったら、ムキになって『じゃあ死刑になるからいいもん!』って殴られたし」 「……………昔の話よ」 「だな。それが今や皇太子妃候補か。……お、噂をすれば」  盛大なラッパの音が鳴り響き、人々の視線が一斉にそちらへ向かいました。私の隣でアシュリーが大きく息を呑みます。  ──いよいよ始まりますね。  先触れの従士が高らかに声を上げます。 「帝国の《黄金》、皇太子殿下──ユリアス=アストレア様の御成り!」
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