第19話 罠とはこのように仕掛けるのです

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第19話 罠とはこのように仕掛けるのです

「フラウ」  声をかけられて振り返ると、ユリアスが立っていました。  私は微笑みかけます。 「夜風が気持ちいいですね。殿下」  パーティーの喧騒からガラス戸を一枚隔てたバルコニー。  眼下には見渡す限り王宮のすばらしい庭園が広がり、視線を上に転じれば、満点の星空を眺めることができます。  ユリアスが会場に現れたとき、真っ先にエリシャが駆け寄っていくのが見えました。  いつもと同じ満面の笑みにヒロインのオーラを輝かせながら。ユリアスもまた笑顔で彼女を出迎え、ひざまずいて手の甲にキスを贈りました。  まさに王子様とお姫様。  そんな光景を眺めてから私はくるりと踵を返し、このバルコニーにやって来ました。  ユリアスが来てくれる──  そのことに賭けたのではありません。  賭けたのではなく、確信していました。  でも、思っていたよりも。 「早かったですね」 「ん? そなたが手紙に書いたのではないか。『バルコニーで待っています』と」 「そうですけれど。エリシャさんとのお話はもう済んだのですか?」 「ああ。彼女はどうもそなたを探しているようだったからな。私への挨拶が終わると走っていってしまったよ。手紙に書いてあったとおり、ここで待ち合わせていることは言わないでおいたが……」  ふぅ。やはり危ないところでしたね。  真っ先にバルコニーへ逃げてきて正解でした。 「それで、私に話したいこととは?」 「ええ、殿下。それは──」  私はドレスの胸元に手を当てて呟きます。 「よければ、庭を歩きながら話しませんか?」  未婚の男女が夜の庭を歩く。  旧時代がかったこの世界において、あまり褒められた行為ではありません。  人気のない場所を男性と二人きりで歩くのは初めてのことですし、前世でもそのような経験はありませんでした。  しかし、今宵はなんとしても私の印象を強く残さなければ──  他愛のない会話を交わしながら、私はドレスの太もものあたりをこっそり確かめます。 「私が来るまでバルコニーに一人でいたのだろう。寂しくはなかったか?」 「………?」  ふとユリアスに問われ、私は首をかしげました。  寂しいどころか居心地がよかったのですが。大勢の人で賑わう会場のほうが私にとっては苦痛ですので。  ……もしかして。  私を心配して早めに来てくれたのでしょうか? 「殿下は一人がお嫌いですか?」  尋ね返すと、彼は少し驚いた顔をして、 「いや」  首を横に振りました。  そして、考えをめぐらすように空を見上げます。 「言われてみると、好きも嫌いもないな。生まれたときから私は一人だ」  天高い場所に浮かぶ大きな月。  それによく似た──《黄金》の瞳。 「異母弟妹の一人や二人、いればよかっただろうとは思うが」  そう言って私のほうを向き、彼は苦笑します。  一人息子を産み落とした瞬間に命を落とした皇后。  その死から十七年がたった今も、皇帝は新しい妻を迎えていません。《黄金》の直系を受け継ぐ子孫はユリアスの他におらず、周囲の者たちは彼の身に何かあれば即刻首が飛ぶことがわかっています。  そのような環境の中でユリアスがどれほどの孤独を味わってきたか。  そして私は──  そこにつけ入ろうとする女です。 「では、私が殿下の妹になりますわ」  噴水の前で立ち止まり、私は言いました。 「私が殿下の妹代わりになります。あるいは殿下の望む、他のどんなものにもなってさしあげます」 「私の……望むもの?」 「ええ」  うなずいて、彼の頬を手のひらでそっと包みます。 「それで、殿下がお一人ではなくなるのなら」 「………」  ユリアスがじっと私を見つめています。  彼の《黄金》の瞳に、月光を受けて輝く《白銀》の髪が映っているのが見えます。 「それがそなたが話したかったことか?」 「……こほん。少し違いますが、概ねそんなところですわ」 「そうか。……ありがとう」  ユリアスは少し照れたように笑って、頬を包んでいた私の手を握りました。 「そろそろ戻ろう。名残惜しいが、みなが心配するからな」 「そうですね」  ──さあ。  チャンスは一度だけ。  二人で元来た道を歩きだしたとき、私は覚悟を決めました。 「あっ」  つまずいてバランスを崩し、その場に倒れ込みます。 「フラウ、大丈夫か⁉」  ユリアスが慌てて私を助け起こそうとして──  固まりました。 「……っ。見ないでください。ドレスが……」  倒れたまま、私は恥じらいの声を上げます。  赤いドレス。  転んだ拍子にそのスリットが大きく裂け、太ももが露わになっています。  実際にはたった今裂けたわけではなく、事前にハサミで切れ込みを入れ、その部分を仮縫いしてあったのですが。転ぶ際にその糸をちぎって抜いたのです。  これが──  ヒロインに勝つために私が用意したもの。  原作ファンに《色ボケ皇太子》と呼ばれるユリアスです。彼を落とすなら、純粋な色仕掛けがもっとも有効でしょう。しかし私はエリシャのようなマシュマロボディではありません。露出度の高いドレスを着たところで彼女には敵わない。  そこで少々特殊な仕掛けをさせていただきました。  結果、ユリアスは呆然として言葉を失い、その瞳は私の太もものあたりに釘付けになっています。  狙い通りになったようですね。  おまけに私を助け起こそうとした手で、逆に私の肩を押さえて覆いかぶさってきますし──  ───  ───  ───え? 「殿下……?」  う、動けません。  私を上から押さえつけたユリアスは答えず、ギラギラとした目で私を見下ろしています。  ……すみません。これはちょっと予定と違うのですが。
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