第4話 楽しい晩餐会にいたしましょう

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第4話 楽しい晩餐会にいたしましょう

 それにしてもまぁ、見れば見るほど、人形のようなお顔ですね。  ドレッサーの鏡で自分の顔を眺めていると、つくづく感心してしまいます。これが異世界の力なのですね。前世の私とは根本的な造りが違います。 「お嬢様、こちらでよろしいでしょうか……?」  メイドが運んできた品に、私はつと視線を送ります。白粉に眉墨、口紅や頬紅といった化粧品。この世界にファンデーションはないようですね。あったとしても、フラウのきめ細やかな肌には不要でしょうけれど。そもそもこの顔に化粧自体が不要かと思いますが。  でも、今夜は特別ですから。  月に一度の家族晩餐会。  フラウの記憶によると、ノイン様は多忙なお方。屋敷で食事を取られることは滅多にありません。あったとしてもご自身の執務室で仕事をしながらのようです。  ですから、この晩餐会は家族全員が顔を合わせる貴重な機会。 「その口紅をぜんぶここに並べて」 「あ……はいっ」  びくっと体を震わせ、あわてて口紅を並べるメイド。まだ怯えているのかしら? 昨日、鏡越しに見た私がそんなに怖かったのでしょうか。  あれ以来アシュリーの嫌がらせはすっかりなくなり、モリモリ食べましたので今は血色もよくなっています。もう幽霊じみた顔はしていませんよ。  さて、並べられた口紅の容器を見比べます。  やはり、これ、でしょうか。  蓋を開けて小指に取り、鏡を見ながらそっと唇に走らせます。 「……どう? 似合うかしら」  鏡越しにメイドに問いかけますと、今度は怯えるのではなく、ふっと魂を抜かれたような顔になりました。それから何度か大きく瞬きをして、彼女はごくりと唾を飲み込みます。 「とても……お美しゅうございます。お嬢様」  そうですね。私もそう思います。  大人びた漆黒のドレスに、光を乱反射しながら流れ落ちる銀髪。  そして、目の覚めるような赤い口紅を引いた少女。  フラウ=フレイムローズは妖艶な笑みをたたえて、鏡の中から私を見つめていました。  晩餐の席についたアシュリーとリオンも似たような反応でしたね。 「フラウ。なんだか、今日のあなたって……」 「フラウ姉様。今日はその、なんだかとっても……」  などと小声で言って、二人とも下を向いてもじもじしています。  変わらないのはお兄様だけ。いつもと同じ、その辺の石ころを見るのと変わらない目つきで私をさっと一瞥しただけです。  その一瞥で私には十分。いえ、その一瞥こそが私の栄光。  食前の祈りを厳かに唱えて。  さあ、家族水入らずの晩餐会の始まりです。 「……………………」  が。  これといった会話もなく。  カチャカチャと食器の音だけが広い食堂に響きます。  アシュリーはお兄様の前だと大人しいものですし、リオンもテーブルマナーを守るのに必死のようです。  それに当主であるお兄様からお声がかからない限り、私たち弟妹がおいそれと口を開くことはできません。  広いテーブルの向こうでお兄様は黙々と食事を召し上がっています。こんなにも近くにいるのに、こんなにも遠く感じるお兄様。  ……この機会を逃せば次はいつお会いできるか。  少し早いかもしれませんが、思い切ってこちらから仕掛けることにいたしましょう。 「あの……お兄様。今日は、私から贈り物があります」  そう言うと、お兄様は手を止めてこちらをじっと見ました。  なんて冷たく鋭い視線。引っ込み思案な本来のフラウなら、その場で凍りついているでしょうね。  でも、今の私にとってはご褒美でしかありません。興奮を顔に出さないようにするのが少しばかり骨ですが。 「贈り物?」 「はい」  私は小さな箱を持ってこさせました。メイドがお兄様の前で恭しく蓋を開き──  それを見て、お兄様はわずかに目を細めます。 「なぜ、これを私に贈ろうと?」 「私が持っているより、お兄様に使っていただいたほうがよいと思ったんです。もちろん、お兄様はもっといいものをお持ちですけれど……」  包みの中から現れたのは、白銀の懐中時計。  磨き込まれた蓋の表面にはフレイムローズ家の家紋であるバラの模様が装飾され、長い銀鎖もキラキラと輝きを放っています。 「ああ。持っていたが、壊れてしまった」 「まあ」  驚いたふりをしますが──はい、知っています。  原作第一巻の冒頭で、ヒロインは皇太子に出会ったあと、何気なしに開いた扉をちょうど宮廷に来たばかりのお兄様に全力でぶつけてしまうのです。そればかりかお兄様が落とした懐中時計を踏みつけて壊してしまい……しかもそれは公爵家に代々伝わる純金の懐中時計で……。  悪役公爵とヒロインの、まさに最悪の邂逅ですね。 「だが……いいのか?」  白銀の懐中時計を手に取りながら、お兄様は推し測るように私に問いかけます。  隣のリオンが慌てたように口走りました。 「フラウ姉様、あれは母様の──!」  ええ、そうですね。  あの懐中時計は母が嫁ぐ際に前公爵から贈られたもので、亡き母の形見。そして私とリオンにとっては、自分たちがフレイムローズ家の一員であることを証明する特別な品でもあります。  私はリオンを無視し、お兄様のほうを向いたままうなずきます。 「お兄様にお持ちいただけるのでしたら、私は光栄です」 「そうか。では、ありがたく使わせてもらおう」  よかった。  私はひそかに胸をなでおろします。  これで目標の半分が達成できました。  この晩餐会で私がしなくてはならないこと──それは、お兄様の私に対する印象を変えることです。  大人びた化粧やドレスもそうですが、自ら発言し有用な贈り物をすることで、私が内気な幼い少女のままではないと印象づけることができたでしょう。  加えて、お兄様に対する私の忠誠心を示すこと。  大きな野望を秘めるお兄様にとって、決して裏切ることのない忠義心こそがもっとも価値のある贈り物です。その証として、あの懐中時計ほど適しているものはありません。  お兄様のためにあらゆるものを差し出す覚悟が私にはある。そのことを、きっと感じていただけたはずです。  と、ここまでが半分。  残りの半分は── 「ところでフラウ。体調はもうよいのか」  かすかに頬紅を塗ってさらに血色をよくした自分の顔を意識しながら、私は悠然と微笑んで見せます。 「はい、もうすっかり。ご心配ありがとうございます」 「あさってに皇太子殿下の誕生パーティーがあるのは知っているな。私とともに出席する気はあるか?」  ──来た。  私はあくまで下品にならないよう間を置いてから、こくりと小さくうなずきます。 「私でよければ喜んで。お兄様」 「待ってください!」  たまりかねたように悲鳴を上げたのはアシュリーです。 「お兄様、何をおっしゃるんですか? あさってのパーティーには私を連れて行ってくださる約束だったでしょう! それをどうしてフラウなんか……!」  そうですよね。  本来はアシュリーがお兄様とともに参加する予定でした。そこで《最弱の噛ませ犬》っぷりを存分に発揮するのを原作で読みましたもの。  しかし、考えてもみてください。  お兄様は「悪役公爵」ですよ?  パーティーに妹を連れていく目的はただひとつ。  皇太子を引き合わせること。  妹を皇太子に嫁がせ、自身の皇室への影響力を絶大なものにする──そのための準備というわけです。  そして皇太子妃候補に求められるのは、家柄だけではありません。他の妃候補とは比べ物にならないほどの美貌、そして知性。  要するにアシュリーでは役不足なのです。  原作で、最初のパーティーに出席したアシュリーは醜態をさらします。アシュリーが使い物にならないことを知ったお兄様はあっさりと切り捨て、次からはフラウを皇太子に近づけようとします。ひそかに慕っていたお兄様が自分と皇太子を結婚させようとしていると知ったフラウは急速に闇落ちし、悪役令嬢として覚醒するのですけれど。  でも、賢明なお兄様なら気づいてくださると信じていました。  アシュリーなんかより、最初から私を連れて行けばよいのだと。 「あなた、お兄様に何か吹き込んだでしょう⁉」  ……おや。矛先がこちらに向きましたね。 「何をしたのか正直に話しなさい! あんたなんかっ……公爵家の血が一滴も流れていない、他国の野蛮な血が混じった連れ子のくせに‼」  顔を真っ赤にしながら立ち上がり、ナプキンをくしゃくしゃに握りしめて怒鳴り散らすアシュリー。  ずいぶん興奮なさっていますね。以前の気弱なフラウ相手なら、そうやって力任せに怒鳴っていればよかったかもしれませんが。 「お姉様」  私は涼しい顔でアシュリーを見上げます。 「お食事中ですよ?」 「このっ……‼」 「アシュリー」  一言。  それだけで、しんと辺りが静まります。  一転して真顔になったアシュリーが、かすかに震えながらお兄様を振り返ります。 「お前は、私の決定に不服があるのか?」  ああっ、役立たずのゴミを見るようなお兄様の冷たい目!  ひそかに歓喜する私とは裏腹に、アシュリーはしゅるしゅると萎んでいくように腰を下ろしました。 「い……え……お兄様。も、申し訳ありません……」  ふふ。いい気味ですね。  それにしても、あのアシュリーがお兄様に逆らうなんて。  よほどパーティーに参加したかったのでしょう。参加したところで夢見る皇太子様には見向きもされませんし、むしろ目の前でヒロインとイチャつくところを見せつけられるだけなのですけど。  そう教えたところで、あまり慰めにはならないかもしれませんが……。 「今宵はここまでとしよう」  そう言って、お兄様が席を立ちます。  もう行ってしまわれるのですね。もっとそのお顔を眺めていたかった……。  ですがお忙しい方ですもの。仕方ありません。 「フラウ」  それでも去り際に声をかけていただいて、私の心は至福に満たされます。 「あさってはよく準備しておけ。いいな」 「はい。お兄様」  皇太子の興味を引くように準備を怠るな、ということですね。心得ております。  すぐに踵を返したお兄様の背中に向かって、私は優雅に一礼します。  今宵はすばらしい晩餐会でした。  フラウの記憶のどこを探っても、これほど愉快な気分を味わった夜は見つからないくらいです。  反対に、姉弟にとってはあまり楽しい夜ではなかったようですね。リオンはまだ懐中時計のことを気にしているのか暗い顔をしていますし、アシュリーに至っては言うまでもありません。 「………………許さない」  そんな地獄の底から響くような声を出したところで、私の楽しい気分は微塵も乱されませんよ。お姉様。  だって、これは──  原作になかった展開。  皇太子の誕生パーティーに私が参加できるなんて。  ノイン様と一緒に!  ノイン様と一緒に‼  ああ、とってもうれしいです。これでお兄様に近づく女どもをすべて監視することができますもの。  待っていてくださいね。お兄様を狙うご令嬢の皆様方。  この私が、すべてのフラグを完璧に粉砕してさしあげます!
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