1.金曜日のカフェ・モカ

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 華麗にジムの誘いから逃げきることに成功した。なぜ仕事で疲れた身体を、さらにいじめぬかないといけないのか。  家に帰ると、ソファに滑り込んでテレビの電源をつける。最近の子は、私テレビ見ないです、とか言うけど私は見る。理由はない。ただの習慣だ。だが、この時間帯はクイズ番組と食べ物番組の二本柱。前のめりで見ることはないので、結局はスマホを流し見している。  画面はスマホを見ながら耳ではテレビを聴く。私はこれが好きだ。なんか、一時間過ごしただけでも二時間分ダラダラした気になれる。  無表情で画面をスクロールする。文句を言うだけのくせにSNSを見る。  この子、子供出来てから、写真子供ばっかりじゃん。それまでは、空とか水たまりとかの写真に意味不明なポエム添えてたくせに。しかも、その投稿消してるし。認めろよ、過去の自分を。  それに引き換え、この子は子供生まれても自分好きだな〜。子供が主役だって謳ってるくせに、絶対自分はどこかに映り込んでる。よくもまあ、たまたま映ってるみたいな顔できるな、この子。しかも同じ服絶対着てないじゃん、モデルなの? お抱えスタイリストいるの?  モデル気取りといえば、冴子だ。今日の投稿も膝から下あたりだけを写した自分の写真。そのうち、聞かれてもないのに靴のブランドとかもご親切に書いてくれるんじゃないの? さすがにしないか。でも誰かがコメントで「その靴のブランド何ですか?」って聞いたら、待ってましたとばかりに「質問があったのでお答えしまーす」とか言って、わざわざアルファベットでブランド名書いて教えてくれそうだな。  いつものように、そんなことばかり考える非建設的な営みをしていたが、突然スマホの画面が変わった。ヨリコからだ。トイレのマークみたいな人のシンボルのしたに無機質に「ヨリコ」と表示されている。   「もしもし」 「あ、もしもしー、蘭子? 今大丈夫?」 「うん、大丈夫だけど。どうかした?」 「いや、別にどうともしないんだけどさ」 「え、そうなの?」 「暇じゃん。せっかくの金曜日の夜なのに。テレビ見てても退屈だし、インスタ見ててもムカついてきたし」 「一緒一緒、私も家。後輩にジム誘われたけど、断った。あのピチピチのユニフォーム着るの嫌なんだよね」 「いや、別にあのピチピチ、公式ユニフォームじゃないよ。普通にスカート上から履いたらいいじゃん」 「嫌だよ、絶対陰で言われるもん。あの女、ドレスコードできてないって」 「いやいや。あれドレスコードではないから。蘭子の偏見だから」  ヨリコは私の昔からの友達で、今でも頻繁に連絡をとっている。用がなくても電話する仲で、苛立ちを感じるポイントが似ているので本音で話せる数少ない友人だ。  私はヨリコがいるから、後輩のジムの誘いも断れる。断って、嫌われても一人じゃないから。さすがに、カフェくらいは付き合うけど。会社で孤立したくないし。 「ところで蘭子、明日休みだよね? 何してるの?」 「え、明日? 一日暇だよ」  堂々と、暇と言えるのもヨリコだからだ。これが美容室で訊かれた日には、取り繕って、大丸で薄いパン買ってましたとか言わないといけない。そもそも、わざわざ大丸を訪れてパン買うって結構暇な気もするが。 「じゃあ、明日ご飯行こうよ、昼」 「いいよ、行こ行こ」  ヨリコはランチという言葉を使わない。だから私は落ち着く。  人はいつ、どの瞬間からランチという言葉を使うのだろう。「よし、次から昼ごはんのことを、ランチって呼ぶことにしよう」って決心するときがあるのだろうか。私はランチと聞くと、どうしてもお洒落なところに行かないといけないという脅迫概念を感じる。それが落ち着かない。 「昼ご飯」だったら普通のビーフカレーだったり、ケチャップのオムライスで大丈夫だ。野菜ゴロゴロのスパイスカレーや、ふわっふわでホワイトソースのオムライスを食べなくてもいいのだ。  結局、いつもの場所にいつもの時間で集合ということになり、あとは長々と与太話をした。  丸山さんと門倉さんとは会社の上司の悪口を言うが、ヨリコとは上司の悪口をいってるあの子達の悪口を言う。悪口は連鎖するのだ。かと言って、ヨリコの悪口は誰にも言わない。これは二人だけの秘密の会合。  ソファに寝転がる。今日はシャワーをするのも面倒だ。でも、あの子達は今頃、ジム終わりにシャワーで汗にまみれた身体を洗い流しているのだろう。そして、帰りにコンビニで異様に小さいクレープでも買って、頑張った自分へのご褒美として食べたんだろう。そのカロリーも、シャワーで排水口に流れると信じて。  私は我関せずとばかりに缶ビールをグビグビ。明日は早起き不要。あぁ、幸せ。
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