2.土曜日のハヤシライス

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2.土曜日のハヤシライス

 ここ、チェーン店なのだろうか。  地元の駅前にある他の場所では見たことのない英会話スクール。私が子供の時分からずっとあるが、ここに入っていく生徒を見た記憶がない。どうやって経営が成り立ってるのだろうか? 文具屋や本屋なら卸の仕事もあるだろうが、英会話スクールは卸の仕事もないだろう。なにか危ない商売でもしてるのだろうか?  いらぬ心配をしていると、その英会話スクールの前にヨリコがいた。  この場所は、駅前留学するより待ち合わせ場所にする人のほうが多いのではないか。集合時間二分前だが、私は小走りに切り替える。 「ゴメンゴメン」 「ううん。久しぶり〜」  いつも二人で行くファミレスは決まってるが、私達は一応店の中ではなく、外で待ち合わせをする。一人で店に入ったときに答える「一人です」の一本指が恥ずかしいのだ。  丸山さん達に言うと、そんなこと気にしてるの鷲橋さんだけですよ、と言われたが、ヨリコに言うと「分かる」と言ってくれた。突き出す人差し指が震えるらしい。それはちょっと大袈裟かな、とも思うが分かる。  店に入ると店員さんが寄ってくる。ピースサインを掲げ、窓際の席へ。店内は土曜日だというのに、半分近く空席だ。  このファミレスは都心にもある大チェーン店だが、そちらは、土曜日なら大概満席だ。それなら地元にもあるんだから、わざわざ電車賃と時間をかけて都心に出ようとは思わない。私は。  もちろん都心に行けば、大型複合施設で服を見たり買ったり、映画を観たり泣いたり、お洒落な居酒屋に行ったり顔を赤らめたり、カラフルな色の石がついた壁に登ることもできて、楽しいことは目白押しなのだが、いつしかそのようなことへの欲求はなくなった。  服はほとんどネットで買うし、映画も最新作は観なくなった。観るとしても、往年の名作をサブスクで観るくらい。居酒屋は誘われたらお洒落な半個室や、ソファに座る謎のアジアンテイストなところも行くが、実際は地元の大衆居酒屋で十分。 「注文はどうされますか?」    自分の親年代の店員さんが注文を取りにきた。硬い表情に白髪交じりの髪の毛。ポップな色のエプロンを「着させられている感」がなんとも哀愁を感じる。真っ赤な蝶ネクタイが泣いているように見える。 「あぁ、じゃあハヤシライスで」  ヨリコがメニューをチラッと見ただけで即座に答えた。  これが、丸山さんと門倉さんだったら、店員さんを引き払ってから、二十分くらいあーだこーだで悩むだろう。  店員さんがこちらを見た。   「あぁ、じゃあ私も同じのを。あとホットコーヒー」 「私も」    ヨリコとなら、同じメニューでも気軽に頼め合える。私達は映える写真を撮るためでも、誰かに見せるためでもなく、お腹を満たすために食事をするのだ。そもそも、地元のファミレスで映える写真目的で来ている二十代の女性なんて、きっといない。  今も周りを見ても、親子連れか若い男子がほとんどだ。ここでは本来、私達はアウェイな人種のはずなのだが、なぜだか落ち着くのも事実。  そういえば、いつしかドリンクバーも頼まなくなった。ちょっと前までは絶対頼んでいたのに。少し前に、ドリンクブースではしゃいでる子供の後ろで、順番を待ってる自分が情けなく思ったことがあったからだろうか。それとも、何杯も液体を胃の中に押し込めていたあのころが異常だったのだろうか。 「昨日の綾子の投稿見た?」      ヨリコが半にやけで話しかけてくる。綾子というのは、ヨリコと同じく地元の同級生で、特に仲良くはないけど話したことはある程度の子だ。一緒に遊んだこともないのに綾子は度々私達の話題にあがる。理由は綾子のSNSがいい“ネタ”になるからだ。 「見たよ。深夜にあげてたやつでしょ。金曜の夜だから、皆見てると思って張り切ってたんじゃない」 「いや、それにしても露骨だったよね」  たしかに露骨だった。  一枚目の写真は超有名ブランドの紙袋の写真。私の鼻はそれを見てピクンとなった。  そして二枚目、三枚目とレストランの豪華なディナーの写真が続く。よく見ると奥に、もう一人分の食事が僅かに見切れている。  そして夜景。有名な高層ビルが下に見えるほどの高さからの景色だ。道路の人や車は米粒というか、ほぼ見えない。私は、あなた達一般人ではたどり着けない天空のレストランでディナーを食べてるのよ、とでも言いたいのだろうか。昔は全然イケてなかったくせに。  いや、だからこそ今、逆襲とばかりに幸せアピールをしているのだろう。  そして極めつけは最後の写真だった。誕生日ケーキを囲むカップルらしき男女。女のほうは、もちろん綾子だった。  髪は長くサラサラでアジアンビューティーといった感じ。目は相変わらず細かったが、化粧で印象はかなり変わっていた。ドレスなのかワンピースなのか、ファッションに疎い私にはよく分からない真っ赤な衣装に黒いカーディガンのようなものを羽織っている。右肘はテーブルの上に、右手は右頬に。  あの頃と私は違うのよ、というような顔で微笑んでいた。その表情が、私には彼女が人間の衣装を纏う蛇に見えた。   「完全に外国人の彼氏の自慢だよね」 「そうそう、私の彼氏はこんなにイケメンでこんなに私を祝ってくれるのよー、って」  そう。一緒に写ってた男はイケメンで金髪の外人だった。座っていたが、それでもスタイルが良いのは一目瞭然で、笑顔も様になっていた。なぜこのようなイケメンの外人が付き合う日本人は綾子のようなアジアン系を強く意識した女性ばかりなのだろう。  一方、綾子は口元にハートマークのスタンプがついていた。なぜ、彼氏の顔は全開なのに、自分にだけスタンプをつけたんだろう。 「しかも自分だけ、口にハートのスタンプつけてさ」     やはりヨリコも気になっていたらしい。 「あの子、どんな口元してたっけ? 顎しゃくれてたかな? コンプレックスなんじゃない?」 「なるほどね。もしくは恐ろしい考えだけど、彼氏にここでキスされましたの、サインかもよ」 「うわっ、気持ち悪」 「それと、文章もちゃんと見た? 蘭子」 「え、なんか怖くて見れなかった」 「見ないと〜」 「なんか書いてたの?」 「マイスイートダーリンって書いてた。わざわざご丁寧にアルファベットで」 「本当? ウケるね、あの子。駅前留学行ってるのかな」 「そうじゃない? ダーリンのスペルも最後ちゃんと『g』だったしね」 「あぁ、ちゃんとダーリングになってたのね。やっぱり行ってるね、駅前留学」 「お待たせしました。ハヤシライスになります」   さっきの店員さんが震える手で、ハヤシライスをテーブルに置いてくる。色々な意味で心配してしまう。 「では、ホットコーヒーのほうは、食後にお持ち致しますね」  今飲みたかったんだけどな。と思いながら、店員さんの背中を見送る。  前を見るとヨリコは、もうハヤシライスに手をつけている。  私も即座に食べ始める。うん、余計な手の入っていないハヤシライスはやっぱり美味しい。  食べながらも誰かの噂話をする。休日に仕事のことを思い出したくないので、自然と二人の共通の知り合いのいる中学の同級生の話になる。「美味しい」と噛みしめるのは、最初の三口くらいまでかもしれない。でも、それで良い。  ハヤシライスを食べ終わり、ホットコーヒーを飲み始めたくらいのことだった。ふと入り口を見ると、同年代の男性二人が入ってきた。私は視線を一瞬移しただけで、話は止まらない。 「それでチホがさ、また合わせ鏡で自撮りして載せてたのよ」 「あの子のスマホ、鏡の間でしか写真撮れない仕様なんじゃない」 「しかも、絶対伏し目がちなのよね」 「あれなんなんだろうね。ピースしてるけど下向いてるやつ」 「あこ、洗面所でしょ。珪藻土マットにピースしてるんじゃない?」  そのころ、さっきの男二人はなんと私達の隣の席についていた。すぐに店員さんが来て、水とおしぼりを無表情で置く。二人はメニューをちょっと見ただけで店員さんに注文し始めた。その二人のうちの一人の声に、私は聴き覚えがある気がした。しかも、彼は私と同じハヤシライスを注文していた。  この声、どこかで…… 間にいるヨリコが邪魔で顔が見えないので、少し身体をずらしてこっちを向いている声の主をこっそり見る。  もしかして、あの人は。  胸が高鳴る。左心房が超スピードで脈動してる気がする。  進藤君だ。  進藤隆之。  私の同級生。中学を卒業してから初めて見る気がする。  いや、二十歳の年にあった同窓会で、一度会った。でもあのときは、一言二言喋っただけだった。それが限界だった。  あんなに、中学校のときは喋ったのに。どうしよう。ヨリコは何も気付かずに、隣の席に聴こえるくらいの音量で「チホのハンドバッグの持ち方がムカつく」と喋っている。  どうしよう。今はその話にノリたくない。下品な女だと思われたくない。話を逸らそうか。でも、悪口以外の話題がすぐに出てこない。  丸山さん達に聞いた韓国グルメの話でもしようか。駄目だ、韓国料理なんてチヂミしか出てこない。でも早くチホの話を止めないと。チホのことは進藤君も知ってるだろうから、私達に気付くかもしれない。ヨリコがエキサイトしてきた。「淫乱娘」というワードが出てきた。恥ずかしい。ヤバい。ヤヴァい。どうしよう。 「ヨリコ!」 「へ?」  私は伝票を持って立ち上がっていた。 「ヨリコ! チヂミ食べにいこう!」    ヨリコの顔はひしゃげていた。クエッションマークが顔全体から滲み出ていた。  私はそんなヨリコはおいて、進藤君から逃げるため顔を伏せて急いで会計に向かった。 「ちょっと! 蘭子どうしたのよ!」    大声で名前呼ばないでよ。私も出したけどさ。恥ずかしい。最悪だ。せっかくの私の隠れ家なのに。私の第二の故郷。そもそも地元だけど。  ヨリコをほったらかしにして、急いでレジへ向かい呼び出しベルを押す。早くさっきの店員来いと苛立っていると、トントンと肩を叩かれた。 「すいません。これ、落としましたよ」  振り向くと、私のボロボロの財布を持っている進藤君がいた。私、落としてたんだ。  進藤君は凄い苦笑い。ボロボロの財布見て引いてるんだ。駄目だ、死にたい。  そのときの私は、自撮り写真のときのシホと同じくらい下を向いていた。
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