2.土曜日のハヤシライス

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 あー、お腹すいた。今日は土曜日だかダラダラしすぎて朝から何も食べていない。  はやる気持ちを抑えながら佐伯と地元のあまり入ったことのないファミレスに入った。着いたほうから中で待っておけばいいのだが、ファミレスの大テーブルで一人でいるのがなんとなく寂しいので、俺たちはいつも外で集合してから入る。二度手間だが。もう俺も、二十八になるのだが。  店員さんにピースサインで人数を伝え、窓際の席へ向かおうとすると、目線の先にいた女性がこちらを見ている気がした。土曜の地元のファミレスにあんな同世代の女性がいるのは珍しい。少なくともいつものファミレスではあまり見ない光景。  しかし、あの子、どこかで見た顔の気がする。  あれ? もしかして…… ポップなエプロンがあまり似合ってない年配の店員に窓際の席を案内される。さっきの女性達の隣の席だ。なぜ、こんなに席が空いてるのに自由に座らせてくれないのだろうか。マニュアルがあるのか。俺は半ば無意識に、その女性の顔が見えるほうの席に座った。佐伯に隠れてチラリと顔を見る。  やはり。  あの人は鷲橋さんだ。  小中の同級生、鷲橋蘭子。  ということは、向かいの友達はよく一緒にいた森元さんじゃないか? 森元ヨリコ。それにしても二人共よく喋っている。テーブルを見るとコーヒーだけしか残っていない。もう食事は終わったのだろうか。  二人の喋っている内容に耳を澄ますも、佐伯もなにやら喋りかけてくるので集中できない。だが、「チホ」という人名と「珪藻土マット」という単語は聴き取れた。チホちゃんという子が珪藻土マットを買った話をしているのだろうか。よくもまあ、そんな話であんなに楽しそうに喋れるものだ。  感心していると、さっきの店員さんが、注文を取りに来た。佐伯はチーズインハンバーグにスープとライスとサラダ付きのセットを頼んでいた。豪勢なやつだ。俺はなんとなくハヤシライスを頼んだ。  おばさん店員がぎこちない笑顔で去っていく。背中に年輪を感じる。新人なのだろうか。その割には一人でホール全体を任されれて可哀想だ。ここに注文を受けに来る前にもレジで会計をしていた。急遽、欠員が出たのだろうか。  佐伯がまた喋りだしたが、またいつものように「俺は無課金でスマホのゲームアプリを極めた」という自慢か「今週もパチンコ大負けした」という自虐のどちらかの話だろう。金を使ってないのが凄いのか、使ったのが凄いのか、どちらかに定めてほしいところだが、俺の返答の正解は「凄いなぁ」で間違いない。  佐伯の話を話半分で聞き、奥の鷲橋さん達の話をまた盗み聞きしようと耳をそばだてるも、様子がさっきと違っている。  鷲橋さんの口数が明らかに減っているし、声も小さくなっている。そして表情には焦りの二文字。  まさか、俺の正体に気付かれたか?  ということは、彼女は俺のことを覚えている? 十年近く前に同窓会で少し喋っただけなのに。あのときは、全然喋れなかった。学生時代はあんなに仲良かったのに。あのときは、完全な友達だったからか。やはりお互い大人になってから異性として見てしまうと駄目なのだろうか。  すると、さっきまで大人しかった鷲橋さんが急に立ち上がった。  何かを食べに行こうと、森元さんに言っていた。何て言ったんだ。シジミ? 貝のシジミか? シジミが食べられるとこってどこだ。シジミ専門店なんて聞いたことないぞ。そんなだったら、ここでボンゴレビアンコでも食べたらいいのに。いや、あれはアサリか。  さらに鷲橋さんは伝票を持ってレジへ行ってしまった。こっちを見向きもしなかった。一方、森元さんも焦っている。何があったんだ。そんなにシジミが食べたかったのか、鷲橋さん。 「おい、さっきの女性、財布落としていったぜ」  佐伯が俺に伝えてくる。本当だ。  ダメージ加工のお洒落な財布が落ちている。シジミのことばかり考えていて気付かなかった。  しかし、これは彼女と喋ることのできるチャンスだ。そうだ、きっと最後のチャンスを神が与えてくれたのだ。  佐伯は動こうとしないので、俺は落ちた財布を拾って、レジで苛立ちと焦りが入り混じった表情の鷲橋さんの元へ持っていった。  でもどうやって声をかけよう。名前を呼んだら、気付いてたのに声をかけなかったのが感じが悪いし。よし思い切って肩を叩こうか。  俺は震える手で肩を叩いた。昔は気軽に触れた鷲橋さんの肩。  こっちを向いた。あのときと変わらない顔。全然老けてない。  だが、彼女は俺の顔を見て驚いていた。やはり、気付いていたのだろうか。意を決して口を開く。 「あのー。これ落としてましたよ」  時が止まった。  「す、すいません!」  鷲橋さんは、そう言ったあと急に下を向いた。そしてそのまま動かない。口はボソボソと動いてる。何か喋っている?「シホ」という名前がまた聞こえた気がした。しかし、すぐに財布を俺の手から取って店を出ていった。 「あれ? 進藤君?」  振り向くと、なんと森元さんがいた。なぜか、すぐに相手の名前が出てくると、気持ち悪い気がして、思い出そうとする小芝居をした。  森元さんは、やれやれといった様子で言い放った 「忘れたの? ヨリコ。森元ヨリコ」 「あー! 森元さん」  我ながらわざとらしいリアクションだ。  モリモトヨリコ。今思えば、なんかフルネームで言いたくなる名前だ。  佐伯も照れながらすぐに混じってきた。鷲橋さんを見ようと振り返ると、姿が消えていた。  森元さんがかなり困惑していた。どこへ行ったんだろう、鷲橋さん。  そんなにシジミが食べたかったんだろうか。
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