ノラとの共同生活

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ノラとの共同生活

 この日から、俺とノラの共同生活が始まった。 ノラは基本的に口数が少ない奴で、あまり無駄話をしない。 何故か我が家の縁側が気に入ったらしく、一日の殆どを縁側で茶トラの野良猫を膝に抱いて過ごしていた。 だがしかし、いつの間にか茶トラの野良猫を綺麗に洗って、我が家のペットにしていたのだ。 茶トラの名前は「ちゃすけ」と言うらしい。 いつの間にか増えた家族のご飯は、もちろん俺が用意する事になる。 ノラは外出を嫌い、家から1歩も出ようとしない。このままでは筋力が落ちてしまうのを心配していると、家の掃除と洗濯物はノラが担当してくれるようになった。 (料理は、どうしたらこんな風に出来るのか?と聴きたくなる程に壊滅的なので、俺が担当している) ノラが動くのは、家の中と小さな庭だけ。 それも、垣根で外から見えない場所でしか動かない。 誰に追われているのか? 何から隠れているのか? ノラは全く話そうとはしない。 ただ「命を狙われている訳じゃないから、安心して」とだけ呟いた。 ノラは家の掃除と洗濯物が終わると、いつも縁側で日向ぼっこしながら空を見上げている。 その瞳はまるで、何も映していないように空虚だった。 硝子玉のような瞳には、こんなに澄んだ青空が何色に見えているのだろう。 全てを諦め切った顔をして、ただぼんやりと空を見上げているノラの姿が切なかった。 いつだったか、隣に並んで空を見上げて 「今日の空は、透き通るような青空だな」 ってノラに話しかけると 「え?……あぁ、そうだね」 と、苦笑いされてしまった。 その時、ノラが見ているのはこの透き通った青空では無いのだと気付いた。 きっと、心が深く傷付いているのだろう。 こんなにも無気力になる程に傷付いたノラに、俺は何もしてあげられないまま季節は春から夏に変わり、秋から冬になって……再び春がやって来た。  その日は珍しく、ノラがカレンダーを見つめて 「もう、1年になるんだな……」 と呟いた。 俺は膝にちゃすけを乗せたまま、ノラが見つめるカレンダーに視線を向けた。 時折、ノラがふいに飛び出して帰らないのでは無いか?と不安になる。 ずっと傍にいて欲しいと……言えたら、この不安な気持ちは楽になるのだろうか? 噛み殺した溜め息を吐き出すと、何を思ったのかノラが俺の隣に並んで座り、ちゃすけの喉を撫でながら俺の肩に頭を預けて来た。 フワリと香るノラの香りに、心臓がバクバクと激しく脈を打ち始める。  一緒に暮らし始めて、俺はノラに惹かれていた。 出会った頃には気付かなかったが、栄養が行き届いた血色の良い本来のノラは、中々の美青年だった。 おそらく育ちが良いのだろう。 ノラが纏う空気は、穏やかで優しい。 その物腰の柔らかさに加え、薄茶色の髪の毛と瞳が、ノラのハーフのような顔立ちを引き立てていた。 ちゃすけを膝に抱き、縁側で日向ぼっこしながら居眠りしているノラは、それはもうこの世のものとは思えない程に美しい。 薄茶色の髪の毛は、陽の光に当たると金色に光り輝く。 閉じた瞼を縁取る睫毛も金色に光り、スーッと通った鼻筋にピンク色した唇は、ほど良い厚みと大きさをしている。 まるで絵画から抜け出したようなノラの姿に、野良猫だったちゃすけさえも、美猫に見えてしまう程だ。 そんなノラが、時々こうして俺に甘えて来る。 「海の匂いは……甘い匂いがする」 俺の首筋に鼻を当てて匂いを嗅ぐノラの頭を掴み 「そんな訳あるか! 汗臭いから止めろ!」 と抵抗すると、ノラが自分の匂いを嗅ぎ始めた。 「ノラの事じゃない。俺だよ」 そう答えると、ノラは俺に近付いて首筋の匂いを嗅ぐと 「汗臭くなんか無いよ! 海はいつだって、甘いキャラメルみたいな匂いがするよ」 ふわりと微笑んだノラの顔の方が、キャラメル……いや、生クリームみたいだと言いそうになって唇を噛み締めた。 すると 「海、そんな風に唇を噛んだら切れちゃうよ」 そっと俺の頬を両手で包み込み、ノラの親指が俺の唇を優しくなぞる。 ゾクリとする程に妖艶な表情を浮かべ、ノラが俺を見下ろした。 絡み合う視線に、思わず生唾を飲み込む。 (ダメだ! ノラはノンケで、しかもいつかこの家を出て行く奴なんだ!) 俺は自分にそう言い聞かせて、ノラから視線を外した。 「海?」 「さぁてと!俺は買い出しに行って来るよ!」 俺はその場から逃げ出すように叫ぶと、そそくさと玄関へと向かって歩き出した。
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