ノラの異変

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 その日の夜、すき焼きを準備したら 「要らないって……言ったのに……」 ポツリと言われて 「すき焼きは嫌いか?」 と聞くと、ノラは首を横に振る。 ノラとすき焼きを囲みながら 「うちはさ……普通よりは貧しい家だったんだ。でもさ、じいちゃんとばあちゃんは俺が元気ないとすき焼きを出してくれたんだ。まぁ……肉は豚肉だったけど」 そう話していると、ノラは差し出されたすき焼きの具をジッと見つめていた。 「肉……高い肉じゃないのか?」 ポツリと言われて 「まぁな。ちょっと奮発しちゃったよ」 苦笑いする俺に 「僕のために?」 驚いた顔をしたノラは、突然涙を流し始めた。 「え?ど……どうした?すき焼き、嫌いだったのか?」 慌てる俺に 「ごめん、違うんだ。嬉しくて……」 そう言って、ノラが涙を拭う。 「嬉しい?」 「海、僕を元気にする為にすき焼きにしてくれだんだろう?」 と聞かれて、俺が照れ隠しに鼻の頭をかきながら 「まぁな……」 そう答えると 「その気持ちが嬉しくて」 泣きながら呟いた。 「ノラ……」 そっと手を伸ばして頭を撫でると 「海……あのさ」 言いづらそうに、ノラが俺の顔を見上げている。 「ん?どうした?」 すき焼きを食べながらノラの顔を見ると、ノラは俯いて 「啓太って……誰?」 と言い出した。 驚いてすき焼きを器官に入れてしまい、ゲホゲホと咳き込んで 「な、なんで……その名前を?」 そう言ってノラの顔を見ると、悲しそうな顔をして 「僕は……その人の身代わりなの?」 なんて言い出した。 「はあ?」 あまりの衝撃的なノラの言葉に、この時の俺の間抜け面は相当なものだっただろう。 しばらく黙ったまま、ノラと見つめ合っていると 「ごめん。今の話、忘れて」 そう言って、ノラは悲しそうな笑顔を浮かべてすき焼きを口にし始めた。 俺が箸を置き 「何?ノラが元気なかった理由って、それ?」 と聞くと、ノラは目を泳がせている。 「ぷっ……あははははは」 俺が笑い出すと、ノラが怒り出した。 「な!なんで笑うんだよ!」 「ごめん、ごめん。啓太ね、うん……そう言えば、話していなったよね」 俺は笑い過ぎで流れる涙を拭い、仏壇を指差すと 「啓太は、俺の弟だよ。とはいえ、4歳で死んじゃったけどな」 とノラに答えた。 「え?死んだ……弟?」 予想外の回答だったのだろう。 今度はノラが、ポカンっと口を開けた間抜け面で俺の顔を見ている。 しばらくして、ノラの顔が見る見る真っ赤になって行った。 「ノラ?」 首を傾げていると 「じゃあ、毎晩うなされて名前を呼んでいるのは……」 と呟いて、ノラがハッとした顔をして口を閉じた。 「啓太は……俺が殺したんだ」 ポツリと呟いた俺に、ノラが顔色を変えて俺の顔を見上げた。 「ガキの頃、小さな弟が俺に着いて歩くのがうっとおしくてね。昼寝していた弟を置いて、俺は草野球の試合に行っちゃったんだ。そんな俺を追い掛けて来た啓太は、トラックにはねられてそれっきり……」 話しながら俯いた俺を、ノラは啓太と同じ薄茶色の瞳で俺を見つめていた。 そしてゆっくりと 「それで、なんで海が殺した事になるの?」 と、ノラが呟いた。 「え?」 「確かに、不幸な事故だとは思う。でも、なんで海が殺した事になるの?」 「だって、俺が啓太の面倒を見なかったから……」 「弟さんが亡くなったのは、海のせいじゃない!」 いつになくノラは強い口調でそう言うと、ゆっくりと立ち上がって俺の隣に正座して座ると 「海、子供が遊びを優先するのは、当たり前の事だ。僕はむしろ、あんなに毎晩うなされる程に苦しんでいる海を放っているきみのご両親が許せないよ!」 と怒り出したのだ。 そして優しく俺の身体を抱き寄せると 「海、辛かったね。きみは何も悪くない」 そう言ったんだ。 「悪く……ない?」 「そうだよ。弟さんが亡くなったのは、不慮の事故だ」 「でも、近くに居たのに救えなかった。啓太は、俺の名前を呼びながら手を伸ばして……」 そう叫んだ俺の言葉を、ノラの唇が塞いでしまう。 温かいノラの手が、優しく俺の頬に当てられ 「海、何度だって言う。きみは何も悪くない」 真っ直ぐに俺を見つめるノラの茶色い瞳は、啓太がそう言ってくれているかのように感じた。
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