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エコヒイキカミサマ
かみさま、
私がいつものように呟くと、あろうことか「なんだい」と声がかかる。
「えっ?」
驚いて声がした方を振り返ると、なんとそこに、神様が居た。
「……かみ、さま……?」
神様……なのだろうか。
整った容姿は確かに神憑り的なものを感じる。中性的なその容姿に艶やかな長い髪は、その人が男か女かもわからない。身に付けているものは洋服ではなかったが、まるで見たことが無い装いと言うわけではない。厳かな感じの……和服…?コスプレで、『神様』をイメージするなら私もそのチョイスをするかなぁと思うような、服装だ。ちょっと知識がなくて、正確な名前がわからないけど。
それでも、そのヒトが人あらざるモノだと思うには十分だった。
だって、その人の体の向こうには、私のお気に入りセレクトの文庫本が並んだ本棚が見える。つまり、体が透けている。
「………かみさま?」
私が再びポカンと開いた口のままに溢せば、カミサマはその整った眉毛を怪訝に…或いは、不快にひそめた。
「だから、なんだい」
ひゅっと息を飲む。整ったその顔はひたすら美しく、言葉を紡ぐその声も空気を静かに震わせ、脳に響き渡る。
「どうして、」
「どうして? 何が? 私が此処にいることが、か?」
呼んだだろう?と問われれば、それは確かにそうですと頷くしか無い。
けれど、私が「神様」と呟くことはしょっちゅうのことで。それが、なんで今日は通じたのか?そんな疑問だった。
「いつも、呼んでも来てくれないじゃないですか」
「そりゃ、神様がそんな、ポンポンと出てこれるものか」
だってでも。
どうしてそれにしても、今日なのか。
両親の帰りが遅い夜。
テストの点数が劇的に悪かった時。
学校で友達付き合いが上手く行かなかった時。
生まれて初めて告白をし、失恋をしてしまった時。
自分には、本当は年の離れた兄が居たと聞かされた時。
それからーーーー………。
泣きそうな時はいつだって、あなたのことを呼んでいたのに。
「……実にくだらないことにも、お前は私を呼んでいたろう?」
勝手に心を読んだのか。それとも、私が明け透けに顔に書いてしまっていたのか、思っていたことを読み取って、神様は溜息を吐いて続けた。
大人気の漫画の発売日に、無事にゲット出来ます様に、と呟いたり。
寝坊しちゃいけない日の前日の夜だったり、遅刻ラッシュで走りながらであったり、自販機に使おうと用意した小銭をばらまいてしまって用水路に落としてしまった時にも…。
指折り挙げられるそれらに、私は赤面するしかなかった。だって、と弁解したくても、「それが口癖だったから…」としか言いようがない。
空には神様がいて、いつでも私を見守ってくれているのだと、両親は言った。お婆ちゃんも。だから、そうなのかなぁ。そうなのだろうなぁ、と思いながら生きてきた。
神様が私達に手を差し伸べないのは、不平等になってしまうからだ。とか、本当は神様も助けてやりたいと思っているのに、介入できない為に人知れず泣いているのだろうとか、そんな妄想に浸ることすらあった。
結局、この件について正も誤もつけること無く、私はそろそろ、二十歳になる。
「……それで、今回は、何の用だい?」
そんなこと。
もうすっかり、知っているだろうに、訊く。
「……わかっているんでしょう?」
意外と親しみやすかった神様に、つい、軽口をたたいてしまった。しかし神様は、それを咎めたりしない。
「さぁ。今日の願いは、霧がかかったように見えづらい」
だから、降りてきた。
なんて言われてしまって、笑った。
「不平等だ!」
「何が?」
ふふふ、と笑いながら、目尻から涙が溢れる。
「私だけ、ずっと見ていてくれたんだ?」
「……『ずっと』じゃない、『時々』だ」
罰悪そうに、神様は他所を向く。丁度視線の先にあったティッシュを取ろうとしてくれたが、すり抜けて目を丸めていた。なんだか少し、哀しそうに笑う。
あながち、ただの妄想では無さそうだ。
空で見てくれていたこのカミサマは、手を伸ばしてやりたいと思いながら、介入できないことに歯痒い想いをしてくれていたのかもしれない。
「……神様、触れたい」
「………それ、は……」
ああ、残酷なことを口走ってしまった。「嘘」と慌てて取り繕う。
「会いに来てくれて、ありがとう。それだけでもう、十分」
「……」
千果。
神様が、小さく、まっすぐ、そう、私の名前を呼ぶ。
「いつも、空で。ちゃんと、見ているよ」
神様が、言う。
うん、と、頷いた。
神様はそっと手を伸ばし、私の涙を拭おうと試みた。けれどやっぱり、どうにも通り抜けてしまう。寂しそうな、困ったような顔をして、笑った。
「いいんだよ。大丈夫。これは、嬉し泣きだから」
私は、張り裂けそうな胸を、なんとか抑えながら、笑って見せた。
「皆、あなたのところにいるの?」
「うん」
「お母さんも、お父さんも?」
「うん」
昨日は、両親の月命日だった。
とっぷりと深い夜。まだ、『朝』と言うには暗過ぎる時刻。夜通し泣いていた私の前に現れてくれた、神様。
「みんな、見てくれているのね。私を」
うん、と神様は優しく頷いた。
喉の奥がツンとする。嗚咽が漏れそうになる。
「いつも、千果の声を聴いてる。どんなくだらないことも、楽しいことも、哀しいことも…、嬉しいことも。なんでも。全部、ちゃんと、聴いてる」
うん、と今度は私が頷いた。
「………一つ、訊いてもいい?」
「勿論だ」
「……あなた、本当は『神様』では無いんでしょう?」
神様は目を丸め、「なんでそう思う?」と目で語る。「今日がハロウィンだから、来たんでしょう?」と冗談交じりに重ねて問えば、神様はやがて肩を竦めて、笑った。
随分と人間らしい、あどけない笑い方だ。
「もう行かなきゃ」
神様が、少し名残惜しそうに切り出す。時計を見ると、そろそろ朝の四時が来る。
「いつでもまた、呼ぶんだぞ。いつでも、見守っているからな」
そう言うなり、薄暗闇に溶けた神様。
最初の仰々しい雰囲気は何処へやら。すっかり、兄の様ではないか。
「……見ていてくれてたんだね、お兄ちゃん」
エコヒイキカミサマは、神様に仮装した私のお兄ちゃんだったから。だからどうか、「不平等だ!」なんて、嘆かないで下さいね。
ーおしまいー
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