九節 一歩先のローストビーフ

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九節 一歩先のローストビーフ

ーーside 緒方 光高 (流石に気まずい。でも、話さないと) 「......どうも」 「緒方さんなんで居るんですか!?」  僕はいかにも驚いていますという様子の里依さんと訳がわからないという顔をした小早川先生の前に無理やり引きずり出される。 「ここ、僕のバイト先の一つで」  とはいっても卒業したバイト先である。常に複数のバイトを掛け持ちしている僕は各所にバイトで培った関係性がある。このホテルにはごくごくたまに繁忙期にヘルプに呼ばれることがあるくらいだが、縁はある。 「立食形式でやってることがあるって話を七星さんにしたら」 「あの悪魔に無理やり連れてこられたんですね!」  里依さんが引き続き受付をしている歩夢さんに敵意の視線を向ける。無駄に従兄妹間で歩夢さんへのヘイトを上げる気はない。 「お給料と紹介分と諸々のマージン貰ってる」 「お金で買収されるなんて! 失望しました!」 「違う。そうじゃない」  歩夢さんのことになると里依さんは全く人の話を聞かない。里依さんは今にも歩夢さんにつっかかりそうだ。里依さんの誤解は後で解くとして、問題は小早川先生だ。謝るなら早いほうがいい。 「あ......先日は失礼しました」 「こちらこそ」 「おいおい。入り口で通夜みたいな挨拶してんなよ」  歩夢さんに邪魔だからといって会場の中に進まされた僕達は改めて並べられた食材を目の当たりにする。開始時間はまだだが、豪勢なメニューが所狭しと並べられていた。トマトとモッツァレラチーズのカプレーゼ、季節野菜と北海道産ポテトのサラダ、揚げたてのミニコロッケにシェフオリジナルのミニオムライスのデミグラスソースがけ......。流石に全てのメニューを把握するのは難しい。隣に居た里依さんがアップを始める。 「わぁ!! 美味しそうなメニューがいっぱいです! あ! 大量のローストビーフ! ちょっと私、覗いてきますね!」 「え、ちょっと。冴島さん」  冴島さんは僕の方をチラリと見てウィンクした。いや、正確にはウィンクしたように見える。微妙にできていない。 (片目プルプルしてる)  しかし、折角彼女がつくってくれた機会なので無駄にはしたくない。小早川先生に言いすぎたことを謝ろう。でも、何を? どうやって? 「あの、小早川さん」 「緒方くん、私冴島先生とお友達になれましたよ。きちんと向き合って。驚いたでしょう」 (乗り越えた、顔をしてる)  話したいことは先に言われてしまった。こういうところは小早川先生の方が大人らしい。促されるままに壁際に向かい先生と向き合う。 「余計なことを生意気に言ってすみません」 「いいえ、あなたの言葉は私に必要な言葉でした。......私は他人に距離をとっていました。すると、他人は私に滅多なことでは踏み込まない。だから、踏み込まれるのは久しぶりでしたね」 「冴島さんが踏み込んだじゃないですか」 「彼女には確かにゆるく溶かされていったかもしれません。でも、トドメはあなたの言葉だった。最後の一撃は強烈でしたね。私なら絶対に言わないでしょう」  思い返すと気まずくてしょうがない。これは責められているのだろうか。僕が何を返そうかと黙っていると小早川さんがあたふたとしだす。 「あぁ、その。違います。感謝して、います。わかりますか? 腹が立ちましたし、悲しかったですけど、それでも結果的に向き合いたいって思うことが出来ました。それはあなたのおかげです」 「いや、それは」    僕は言いたいことを言っただけで、本当に小早川さんを励ましたかった訳ではない。それなのに良く受け取られていることに居心地の悪さを感じる。しかし、その弁明を小早川さんは許さない。 「言い訳も謙遜も聞きません。私は私の意思であなたの言葉を私の人生の踏み台にすることにしたんです。私が人間関係で挫けそうになる度にあなたに馬鹿にされたことを思い出します。それで、おあいこにしましょう?」  僕たちは友人でも師弟でもなんでもない、他人だ。だからこそこの距離とこの認識でやっていける。僕は渋々頷いた。 「会場も七星先生と色々考えてくれたんですね」 「ビュッフェ形式なら、食べる量もスピードとさほど気にならないと思って」 「私のために?」 「一応。その方がいいかなって。料理長に相談したら食べるものもなるべくひと口で食べられるものにしてくれました。だから美味しいと思うものだけ、十分に食べたら良いと思います」 「その配慮、嬉しく思います」  会場に人が少しずつ集まってきた。退職予定の先生に他の先生たちが話しかけている様子もチラホラ見える。ただ、小早川先生のところに来ようとする様子を見せる先生は1人もいなかった。小早川先生はそんなことを気にした様子もなく、僕に話しかける。 「一つだけ、良いですか?」 「はい」 「どうして冴島先生と仲良くしたいと思ったのですか? 住んでるところ以外接点もないでしょう」  これはクッキー会では深入りされなかった質問だ。 「はじめは仕方なく巻き込まれてただけです。でも、冴島さんのちょっとズレてるけど一生懸命なところを見て、応援したいし支えたいと思った。それだけです」 「お節介で私みたいな職場で孤立してる女にだって声を掛けてしまうような問題児ですよ?」  挑発すれすれの言葉を使っているが、小早川先生の表情にはもう以前のような嘲りはない。だから、僕が確認したいのは一つだけだ。 「でも、楽しかったんじゃないですか」 「えぇ、とっても」  冴島さんに対して”巻き込まれる側”という点で僕と小早川先生は同じ立場を共有できる。僕たちは嵐のような冴島さんに振り回されつつもそれを良しとする時点で似たもの同士なのかもしれない。  “これはもう会うこともないでしょうからお節介です”と付け加えた後に、彼女はこう言った。 「年上の女性にアプローチするなら早い方が良いですよ。彼女も私ぐらいの年になると自然と焦るようになりますから」 「......は? いや、そういうのじゃないです」 「そんな段階じゃないみたいですね」  慌ただしくなってきたホールでスタッフに呼ばれる。一応名目上はバイトで来ているのでそろそろ行かなければ。 「あの、もう大丈夫なんですか?」  それは諸々の意味を込めた質問だった。彼女は頷いた。 「ありがとう」  そう笑った彼女は冷徹だと言われた彼女ではなくて、自然な笑いが出来る女性だった。
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