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四節 容量オーバーのポワレ
ーーside 小早川 梓
「資格のナナホシ」を運営する母体である七星コーポレーションでは定期的に教職員向け研修がある。今日は社会人向けのセミナー(表)の後に外部講師から同じ内容を受けることになっていた。無料とはいえ先生から事務方まで講習の受講が必須なのは資格系スクールとして教職員にも最低限の教養を付けさせたいのだろう。
今までも生花講習や大人の筆ペン講習など幅広い分野の講習を受けさせられてきた。月に一種類のため大幅に上達するようなものではないが、何もしないよりはその道の基礎がわかるので好評ではあるらしい。
(今月の講習はーーテーブルマナー講座!)
よりにもよってフレンチのメニューで食べ方を学ばねばならない。人前で食べることを極度に避けてきたのに、こんなところで人前で食べなければならないのは苦痛でしかない。
(ここまでは食べられたけど......)
食堂で開かれた講座中、満腹のお腹でギリギリ平静を保つ。次々と運ばれてくる料理を空にすることだけを考える。フレンチのコースで必ず出てくるパンは絶対に口にしてはダメだ。最早マナー講習の内容なんて頭に入っていなかった。早くこの惨めな時間が終われば良いのにと思いながら胃に詰め込む。
魚料理が来た頃だった。白身魚のポワレ。フレンチの定番だが、付け合わせの野菜と白身魚で案外ボリュームがある。端からちまちまと食べていると巡回に来ていた講師の先生に声をかけられてしまった。
「あれ? 小早川先生、進んでないですね」
「あっ......いえ、その」
思わず言い淀んでしまう。前菜などはスムーズに食べられたが、少食の私にとって流石にコース料理の後半は重いのだ。ゆっくりで良いですからねという先生の声に幾分か救われつつ、残りの魚を見ていたーーそのときだった。
「小早川先生、あの。多かったら食べますよ」
隣の席からの小さな声。冴島先生だった。私は誘惑に負けて小さく頷くと、冴島先生は先生の目を盗んで手際よく私と自身のお皿を入れ替える。
そして目にも止まらぬ速さで料理を平らげたのだ。
ーー
講習後、喫茶コーナーにて冴島先生と話す。結局、残りの肉料理やデザートまで全く食べられず、冴島先生に全てこっそり食べてもらった。なかなかの量のはずだが、冴島先生はケロリとしてもう一度食後のコーヒーを嗜んでいる。
「冴島先生。助かりました」
「小早川先生は食が細い方だったんですね」
「......。」
こんな場面を見られてはもうおしまいだ。
「そう。隠してたけど、私は凄く少食で人と食べるスピードも量も合わない。だから、誰かと一緒に食事なんかしたくないんです」
自分の胃袋に自信がない。今日はどこまで食べられるのか、食べようと思った量は適切なのかがわからない。
「食べられないことに口出ししてくる人間が嫌い。食べられるだろうと思って出された食事が食べられない自分が嫌い。だから、もう食事に誘わないでください」
きちんと言えた。これだけハッキリと拒絶したのだ。もう誘ってくることもないだろう。後、数日で終わるのだから余計なことなのだけれど。しかし、冴島先生は嬉しくてしょうがないという顔で私を見上げる。
「なるほど! それがグーを出す理由なんですね」
「グー?」
冴島先生は何か合点がいったかのように自分の手でじゃんけんをしている。
「私、前も言いましたが小早川先生とお食事がしたいです。だってご飯に限らず美味しいものは人を繋ぐ力があるから。でも、小早川先生は少食で人前でお食事をするのが苦手で行きたくない」
「? そ、そうです」
冴島先生は諦めない。私の目を真っ直ぐ見て、そして手を出して握手を求める。
「もし私が両方の主張が通る方法を見つけたらそのときは私とお食事に付き合ってほしいです」
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