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七節 まっさらなバタフライピー
ーside 緒方 光高
「......カッとなると周りが見えなくなる」
「鎮火後に俺で反省会するのやめてもらって良い?」
気まずい感じで終わったクッキー制作会の後、僕は305号室に真を呼んだ。昼間の小早川先生の件は流石に初対面の人に言いすぎたとは自分でもわかっている。だけれども、あの時はなぜか止まれなかった。真の好きなバタフライピーのお茶を淹れる代わりに話を聞いてもらうことにする。
“あの、私帰ります”
クッキーが焼けてすぐ、小早川先生は帰ってしまった。里依さんはなんとなく空気が悪いのを感じてはいたようだが、特に僕を追及することもなくお開きとなる。
透き通る青色のハーブのアイスティーにレモン汁を数滴零す。たった数滴分の果汁が青だった色を紫に染めていく。果肉入りのストロベリーシロップを上から垂らし青、紫、赤の三色のグラデーションをつくる。僕はこれをテーブルでダラダラしている真の元に持っていった。
「えー。里依さんが仲良くなろうとしてる人に喧嘩売るとかなんなの? 応援してるフリして邪魔したいとか屈折してる系?」
「そういうのじゃない」
ただ、里依さんの努力を知らないくせにとは思った。僕は彼女が料理も上手になるために家で練習しているのを知っている。漫画のようにベタな絆創膏だらけの指ではないが、ときどき作ってくる手の傷は里依さんが自炊したときにできている。ここでも細かいミスはするが、それでも里依さんは料理が作れるようになるために努力しているのだ。
それに、なによりも。
(里依さんは努めて明るく振る舞っている)
元々明るい性格ではない彼女が努力して明るく振る舞っているのに、それを指して明るくて楽そうというのは解釈違いである。
今回のお菓子づくり会も里依さんなりに配慮して準備していたのに。それなのに。
「冴島さんが仲良くなろうと努力してるのをお客様気分で眺めてるのがムカついた」
真は僕が作ったグラデーションをぐるぐるとかき回して一瞬で均等にした。
「光高さ、実は沸点低いよね」
「自覚する」
普段はそうならないように気をつけているけれど、ふとした瞬間に自制が緩んでしまうのは自分の悪いくせだ。真はクッキングシートから昼間作ったクッキーの余りを摘み上げる。
「まぁ、でも誰も小早川梓に言わなさそうなことを言ったんだから、彼女がどう思うかは純粋にちょっと楽しみ。コミュニケーションを拒否してた自分の人生に今まで気づかないで子供みたいにグチグチ内心で不平不満抱えてたクチでしょ?」
「......。」
真はネコ顔のクッキーを半分に割って、パクりと飲み込んだ。
「居るよね。大人になっても小さい頃虐げられた記憶を離せない人。意固地になって、余計囚われてしまうことが、何度だって同じ事象に自分を傷付けるのを許していることに気が付けない」
「......それは......」
それは僕にとっては自分にも当て嵌まることだ。安易に相槌は打てない。小早川先生にあたったのが完全に里依さんのことだけではないと言い切れない僕が居る。過去に囚われて偏見で世界を見てしまう姿が自分に似て嫌いだと思わなかった訳じゃない。
(同族嫌悪的な、気持ち悪さだ)
真は新しいネコ顔のクッキーから目や鼻にしている銀色の丸いアラザンを抜き始めた。
「人生を幸せに生きたいなら傷付けられた記憶は痛みの記録として持って痛み自体は忘れた方が良いんだよ。痛みの記録は他人を傷つけないための薬になる。だけど、痛み自体は忘れない限り何度だって自分や他人を傷つける」
真は穴だらけになったネコ顔のクッキーを里依さんが持ってきたチョコペンで塗りつぶす。何度も、何度も。
「痛かったことを覚えていると何度だってうなされる。誰かを傷つけて復讐したいって傷口が囁いてくる。身近な誰かだって構わない。そうなると被害者か加害者かになるのはもう止められないんだ」
ネコ顔のクッキーは茶色に塗れてもうなんの顔かわからない。そんなクッキーを真はひと口に頬張った。クッキングシートの上にはもう何もない。
「だから、痛みを忘れちゃえば良い。真っ当に生きたいならそうするべきなんだ。この場合の真っ当にって言うのは、自分にとって幸せであることを選択する道と他人にとって幸せであることを選ぶ道の両方だ。逆に言えばそうでもしないと大人になってから幸せな人間関係は築きがたい」
「真はそう思ってるんだ」
「そうだよ。だけど、俺は真っ当に生きるのをやめたから、この話で過去を引きずるタイプの光高が傷ついても良いと思ってる」
「......本当にそう思ってるならここで僕を引き合いに出したりしない」
真は僕の入れたをアイスティーの残りを一気に飲み干した。この話は終わりにしたいらしい。グラスをそのまま置いて荷物を持つ。
「ねぇ、俺に酷いこと言われて反省したフリがしたいから呼んだんでしょ? 俺、人のそういうのに使われるの嫌だよ」
「......真の性格の悪いところを見ると自分がまだマシだって思えるからありがたい」
「ふーん。反省したら俺以外に対して何かするべきことあるんじゃない?」
真ほど周りにドライになれない僕は里依さんに申し訳がない気持ちがある。それは確かに真が言う通り真ではなく里依さんや小早川先生に向けて伝えるべきもので、他の誰かに話して楽になったふりをするものではない。
そんなとき一件のメッセージの通知音がした。
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