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前編
猫目音子先輩は、猫である。
いや、本当に猫と言うわけでなく、正しくは「猫のようである」。
濃い紺色のコートに真っ黒なカシミヤのマフラーにその身を包み、首を引っ込めなが、「うー、さむ」と溢す。黒猫だ。長い漆黒の髪の毛も、スラッと長い手足も、そのイメージを助長する。
「ナツ、そろそろ買い出しくらい一人で行けるようになりなさいよ」
「う、……すみません」
長い睫の向こう、端の吊り上がった猫目が僕のことをじとりと睨んだ。……睨んだと言っても、役得な気にさせるから、音子先輩は凄い。その綺麗な瞳の中に自分の姿を見付けて、照れる。
レンガ造りの建物に着くと、カランカランとベルを勢いよく鳴らして、中に入る。
「只今戻りましたぁーっ」
「ネコちゃん、ナツくん、ありがとうー!」
『月光珈琲店』。
僕と音子先輩は、その趣のある喫茶店でバイトをしている。
小麦粉やら珈琲豆やらが入った買い物バッグをキッチンカウンターに置くと、更に奥からマスターがゆっくりとこちらにやってきた。
ひょろりと背の高い、長髪の男性がマスター。ふくよかでおっとりと笑う女性が、その奥さんである。僕は、この喫茶店と二人の姿がとても好きで、ここのバイトの面接を受けたのだった。もう、三ヶ月は前のことになる。
音子先輩と僕はスタッフルームへ向かうと、それぞれ制服に着替えた。白いシャツに黒のパンツ。それから、黒のエプロン。女性はふわりと裾の広がるロングスカートである。少しレトロな印象を受ける制服だ。
音子先輩は、バイトの時はいつもその長い髪をポニーテールにする。……控え目に言って、最高である。
その白いうなじに視線を奪われながら、音子先輩の隣ーーカウンターに立つ。
店にはちらほらと一人客が座っていた。ゆっくりと流れる時を愛する人達だ。珈琲を飲みながら小説を読むことを極上とする。
年配の方が多く、「ネコちゃんとナツくんに会いに来たわ」と微笑んでくれる常連さんもいた。僕達の先程の元気なやりとりも、常連さんの気を悪くさせないので成り立つのだ。
先輩が銀色のピッチャーを持ってテーブルを回る。水が少なくなっているお客さんに断りを入れて、水を注ぐ。
まるで、小説の中のような光景だった。
コポコポと、サイフォンの音がする。その音がひっそりと流れる店内のBGMと調和して、耳に心地いい。
この時間こそ、至福。
僕はうっとりと、先輩を眺めていた。
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