1. みたい

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「……あの、」  近づいて肩に触れると、男はゆらりと振り向いた。  その瞬間、僕はとっさに手を引っ込めた。  やはり、知っている顔だった。  僕のコンビニの常連客で、トラックドライバーの男。  常連と言っても特に交流があるわけではなく、もちろん名前も知らない。  ただ、僕は密かにこの男のことを気に入っていた。  ここで働きだして、初めてタバコを売ったのがこの男だった。  当時の僕はあまりにもタバコに不慣れで、彼に指示された一箱がどこにあるのかさっぱりわからず、広大なタバコ棚の前で固まってしまった。すると憐れに思ったのか、男も後ろから『三段目』とか『もうちょい左』とか指図をしはじめた。僕は言われるままにあちこち動いた。それはちょっとした共同作業のようだった。  ようやく探し当てた〈ラッキーストライク〉を渡すと、彼は嬉しそうに『やったじゃん』と言った。それ以来、僕は一方的にこの男に親近感を抱いている。  だが、それだけだった。彼とは半年たった今も、ただの店員と客に過ぎなかった。  だいたい、歳も一回りは違いそうだ。僕たちに店以外の接点はない。おそらくこの先ずっとそうだと思っていた。それなのに。 「……、」  この冷えた夜にありながら、彼の額は少し汗ばみ、頬は上気している。あからさまに事後だ。と、突然、 「……お前、」  と呼んだ。思わずビクッとする。 「さっき蹴ったな、扉」  彼は貸してもいない僕の手を勝手に握って、ゆっくりと立ち上がり、縮みあがる僕に向かって、 「助かった」  と小さく言った。――助かった? 「若いってやべーな」  壁にもたれかかると、男がひとりごちる。 「底なしだったわ。俺は軽く済ますつもりだったのに、あの男、何回も要求しやがって。死にそー。絶対アカウント覚えとくからな……」  思いのほか生々しい独白に、僕は少し引いた。それより何より、この男は相手のことを『男』と言ったのが僕には信じられなかった。  男同士。  そういうのに遭遇したのは、今夜が初めてだった。  僕はなぜかひどく胸が騒いでいた。恐らくは見たことのないものを見たという、ただの下世話な好奇心からである。そんな好奇心は失礼以外の何物でもないし、そう思った自分はなんて道徳心に欠けるのか。左手首が疼くのを感じる。 「今何時?」  唐突に聞いてくる彼に、僕は店を出た時刻を思い出す。 「さぁ……24時ぐらいじゃないですか?」 「やべっ仕事遅れる」  信じられない発言その二である。この男、仕事中らしい。 「……仕事中に何やってんですか……、」 「お、説教か?いいじゃん。スリルだよ、スリル。楽しいぜ?こーゆーお遊びもさ。このアプリ、けっこー釣れるんだよな」 「……はぁ。なんか、低モラルですね……。しかも多機能トイレって……、」 「そう?10分で終わらす約束だったし、余裕だと思ってたけど」  そういう問題ではないし、できればそんな話は聞きたくなかった。  すっかり呆れる僕に対して、彼に悪びれる様子は一切ない。仕事中にそういう遊びをすることも、こういう場所ですることも、全く気にしていないようだ。まあ僕もさっき、仕事中に手首を切ったところなのだが。――そういう意味では、僕たちは同レベルなのかもしれない。 「とりあえず助かったよ。名前は?」 「……、黒川」 「名札見りゃわかるよ。下の名前は?」 「……夏生(なつお)……。」 「へぇー。ありがとな、夏生」  彼は眩しそうに目をきゅっと細めて笑った。やることは最低なのに、笑顔は変にきれいだった。僕は何故か胸の奥が小さく痛んだ。 「タバコ吸っていい?」 「……喫煙所はあっち、」 「あ、タバコ切れてる」  仕方なく、二人でコンビニに戻った。
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