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街を抜け、高速の入り口を通過する。
急カーブの向こう側で、僕達は同じようなトラックのテールライトの群れに合流した。こんな夜中に、みんな何かをせっせと運んでいる。
ふと、彼のトラックのダッシュボードに、知恵の輪が置いてあることに気づいた。手に取ると、竜胆が笑った。
「好きなんだよ、それ。休憩中とかにいじったりして。外れたときはめちゃくちゃ気持ちいいぞ」
「ふぅん」
僕はそれをしばらくひねったり引っ張ったりした。輪はなかなか外れなかった。次第に退屈してきたので、僕はなんとなく聞いた。
「こないだみたいな遊び、よくするの?」
「ハハ。気になるの、そこ?ま、よくするけど。手っ取り早いし後腐れもない。アプリ様々だよ」
「……仕事中に?」
「仕事中に遊ぶのは、二回目だったかなぁ。十年運転手やってるけどな、ハメ外したのはたった二回なんだぜ。意外と真面目だろ」
それは僕の知っている真面目とはちょっと違った。そこを突っ込もうかとも思ったが、彼が男同士で遊ぶということもあり、あまり踏み込んでいい領域でもなさそうな気がした。
「……、竜胆さん、この仕事、長いんだね」
「十年って、長い方か?ま、気楽なもんだぜ。その前にいた漁港の方はしんどかった。
夏生はどうだ?あそこは半年くらいになるのか。去年の十月からだったろ?」
「あ、うん……なんで十月って知ってるの?」
「そりゃ夏生、」
竜胆は一瞬言葉に詰まった。
「あんなにタバコを探すのが下手な店員、初めてだったからだよ。ありゃ強烈な記憶だね」
「うっ……」
あの時のことを覚えていてくれたのは嬉しかったが、同時に気恥ずかしくもあった。親戚のおじさんに、僕の昔話をされているような気分だった。あんな恥ずかしい姿、覚えてるのは僕だけでいいのに。
僕は慌てて話題を変えた。
「……そういえばさ。会社。ハギノ輸送サービス、ってことは、竜胆さんの会社なの?」
「んー、いや、オヤジの会社だ」
「家族経営?」
「まあ、家族っちゃ家族だな。血の繋がりはない。でもみんな萩野姓だ。俺もオヤジも、他のやつらも」
「……?」
「そういう決まりなんだ。俺たちはみんな萩野って名乗ることにしてる。俺は戸籍があるからオヤジんとこに養子に入ったし、戸籍のない奴らはそのまま勝手に萩野って名乗ってるよ。
俺らの『萩野』は『萩野さんの会社の』ぐらいの意味合いさ。ほとんどのヤツは名字を持たないのといっしょだよ」
あまりにも自然に話されたので、僕はうっかりその話をそのまま受け入れてしまうところだったが、どう考えても普通の話ではなかった。養子とか、戸籍があるとかないとか。ひょっとして、ヤバい会社なのだろうか?それとも、僕は竜胆にからかわれているのか?
「信じられない、って顔してんな」
だが彼が嘘をついているようにも見えなかった。妙な話なのに、どこか真実味がある。
深夜という時間帯のせいなのかもしれない。この時間に潜む、幻想と現実をないまぜにしてしまうような、奇妙な空気の。
その空気の中に、竜胆の少し掠れた明るい声がよく通った。
竜胆は他にもたくさんの不思議な話をしてくれた。
――俺は普通に中型免許を取れたけどな。ハギノの他の奴らは大体ワケアリなんだ。そいつらは、ちょっと特別なところで免許を取るのさ。別に違法とかじゃない、そこまではな。ただ、必要なやつに必要な書類が行き届くように、裏で色々してくれるやつがいるんだ。
ハギノだけじゃない。そこらじゅうにそういう会社がある。
ワケアリが集まって、ワケアリの生活を支えてるんだ。うまく人の目を避けながら。
俺の仕事は、やつらが必要とする物資を運んだり、万一死んだときに、ちゃんとした場所までその死体を運ぶことさ。今日みたいにな。
ワケアリ?ああ、人間のふりをして生きる奴らだ。人間に擬態した動物、怪物、隠れて生きる色々なやつら。オヤジがワケアリ、ワケアリって言うから、俺もそう呼んでる。
ん?違う違う。幽霊は、それはそれで別の界隈だ。俺にはそっちはよくわかんねーな。……ウソじゃない。夏生だって絶対、どこか出会ってる。気がついてないだけだ。
たとえばさ、人に化けるセミがいるんだよ。やつらは人間の子供の姿で土中から這い上がって、青年ぐらいの見た目になるまで人間として暮らすんだ。俺も一度会ったことがあるけどな、立派なもんだよ。全然、人間と違わない。
そいつらは上手くいけば、そのあと羽化してセミに戻る。だが戻る前、人間の姿のときに死ぬこともある。
俺らが動くのはそういうときだ。ワケアリのやつには、色々な弔い方があってね。もちろん、書類を揃えて火葬してやることも出来るんだが――大体はどこかに親しいやつがいて、そいつらは、自分たちにとって馴染みのある方法で弔いたいと思ってる。
だからこっそり俺たちが預かって、しかる場所で葬るんだ。
今日行く楡井山も、昔っからそういう弔い場があってな。俺のお得意さんさ。――
僕はその話を聞きながら、どういうわけか次第に目眩に襲われていった。話が終わる頃には、ダッシュボードが視界の中で右に回転していた。
「……なんか……気持ち悪い……」
「ん?」
「たぶん、酔った……」
おそらく慣れない車に乗ったせいだろう。僕はひどい車酔いを起こしていたようだった。気分が悪くて、さっきの話がうまく飲み込めない。
――この年で、車酔いって。
楽しい旅になる予感がしたのに、それが一気に台無しになる。僕のせいで。彼の前で晒した情けのない姿に、僕は何故か羞恥を感じた。こんな格好の悪い所は見られたくなかった。
「あと10分で次のパーキングだ。それまで辛抱できるか?」
「……、」
僕は沈黙することしかできなかった。
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