婚約者と猫とわたし

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 季節が巡って、秋になった。  レナートと会うのはいつも四阿であったが、このところ風が少々冷たい。着込むことのできるミリアはともかく、ダリアは猫用コートなど決して身に着けない。そのため、最近はミリアがダリアを膝に抱きかかえて風から守っている。温かい季節は二人の人間の間にダリアが鎮座していたのだが、今は猫一匹分、距離が縮まった。 「冬になる前に、領地へ行きます。少し長めの滞在になりますので、ここに来るのも間が空いてしまいますが……。寒いですからね。体の弱いあなたを外へ引っ張り出すのも今日までかな。ちょうど良い機会かもしれません。最初のようにぶしつけにお部屋までうかがうことはありませんが、冬の間は屋敷の中でお会いしましょう」  寒いせいか、ダリアは口を開こうとしない。手袋をはめた手でダリアの背を撫でながら、ミリアは「にゃあ」と答えた。  普段、レナートはこうして「にゃあ」で事足りるように会話を組み立ててくる。ダリアが鳴かないときはミリアが代わりに返事をする。   しかしこの日は珍しく、続きのセリフがあった。 「もしミリアさんさえ良ければ、私の邸宅にも招きたいのですが」 (こちらの屋敷で会う分には良いけど、サヴォイ邸までは、ダリアを連れていけないわ……。だけど、いつも来て頂いているわけだし、私が顔を出さねばならないのもたしかで。体が弱いと言っても、まったく出歩けないほどではないのだし) 「……にゃあ」  迷いが声に滲んだ。  ミリアの方を見ず、前を向いたままレナートは「すぐにでなくて構いませんよ。それこそ春になってからでも」と付け足した。 「にゃあ」 (問題の先送り。今はその気遣いが、とてもありがたいです)  何しろ、ミリアとレナートはたびたびこうして逢瀬を重ねてはいるものの、「実際に面と向かって会話をしたことはない」のである。レナートはあくまで白猫ダリアを愛しの婚約者として扱っており、ミリアもまた白猫ダリアとして返事をしているのだから。  この奇妙な状態を、他のひとの目にさらすのはなかなか覚悟がいるのであった。 「それでは、寒いですから行きましょう。名残惜しいですけど、あなたの体調が心配です」  レナートは言うなり立ち上がった。ミリアも、うとうとと寝ているダリアを抱えて慎重に腰を上げる。  先に歩き出すレナート。その背を追いかけて歩き出したところで、四阿床のわずかな段差につま先を引っ掛けて「あっ」と短い悲鳴を上げた。 (転んだらダリアを下敷きにしてしまう……っ)  ぞっとしたその瞬間は訪れなかった。  振り返ったレナートの胸にダリアごと抱きとめられていた。  寒さ故にふたりとも着込んでいるため、決して肌が触れたわけではない。仕立ての良いコートの布地が鼻先にふれ、腕が背に回されただけ。   見上げると、目が合った。黒い瞳が見ていた。言葉もなく、ミリアも見つめ返した。  レナートはミリアの腕に優しく手を置いて、二人の間に空間を作る。ダリアを潰さないように気を遣った動き。  微笑を浮かべて言った。 「大丈夫?」 「ありが……にゃあ!!」  危なく人間の言葉でお礼を言いかけて、ミリアは辛くもごまかした。  瞳に優しげな光を浮かべ、もとから微笑んでいたレナートであったが、そこで耐えきれなかったように噴き出した。  笑いの発作は長く続き、ミリアはダリアを抱きかかえたまま、レナートの笑いがおさまるのを待った。  * * *
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