島の昔ばなし

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 遠い昔、ここからもっとずっと南の海に、小さな島じまがあったことを知っている人はあるでしょうか。  そこには、遠い遠い昔にその島にやってきた人びとの、子どもの子どものそのまた子どもたちが暮らしていました。  島のひとつにひとりの娘がいました。ある日娘は浜辺へ流れ着いた若者を助けました。真珠(しんじゅ)色の肌をした美しい若者で、その懐(ふところ)には、小さな、黒い、四つ足のいきものがいました。二人と一匹は短い時間を共に過ごしましたが、やがて椰子の実酒(ヤシノミざけ)を運ぶ船がやってきて、若者はその船とともに旅立つことになりました。  最後の夜に娘は不思議な夢を見ました。 「ぼくのお嫁さんになってほしいんだ」  と、黒い獣が言いました。  どうしたことだか、獣は、娘とおんなじくらいの大きさに見えました。 「きみは、とっても素敵(すてき)な子だから!」 「私はこの島を離れたくはないから、あなたのお嫁さんにはなれません」  娘はていねいに断りました。獣は、ゆっくりとまばたきをしました。獣のまぶたは薄く、その下の赤い瞳が透けて見えるようでした。 「では、いつか再び巡り会えたなら、そのときはお嫁さんになると、約束しておくれ」  獣は不思議なことを言うのでした。 「約束してくれたなら、君はもうぼくたちと同じモノ、そうなったも同じこと」  まあ、どうせ、叶うことはない約束だわ、と娘は思いました。 「分かりました」  そう言ったとたん娘は夢から覚め、朝日のもとで若者と、すっかり素知らぬ顔をした小さな獣と別れ、そしてその夕暮れ、大きな嵐が来て島じまは丸ごと海に沈んでしまいました。  次に目覚めたとき、娘は大きなクジラになっていました。  これはいい、と娘は思いました。クジラならば嵐で沈むことなどないからです。  あちこちの海を、娘だったクジラは旅しました。輝くサンゴの海があり、白い崖の続く海岸がありました。それから、大きな氷が漂う海も。口を開ければ小さなエビがいっぱいに口に入ってきて、クジラはそれを味わいました。  けれどもある日、クジラは大きな船に襲われました。尖った武器が背中に何本も打ち込まれ、体の中の温かいものが冷たい海に流れ出し、クジラは、ああ、ああ、と鳴きながら目を閉じました。  目を開けたとき、クジラは犬になっていました。フサフサした毛皮に包まれて、仲間たちとソリを引いて走り、ひげ面の主人とともにシカやアザラシなどの獲物(えもの)を分け合いました。爪の生えた足で大地を蹴ればきらきらと氷のかけらが宙を舞い、遠くに森の影がしんしんと深く、夜空にはときどき光の帯が浮かびました。  ある日、しかし、彼らは吹雪(ふぶき)のなかで帰れなくなりました。年寄りの犬が弱って死に、主人は泣きながらその肉を食べました。そして、次に、かつてクジラだった犬に言いました。 「おまえが2番目に年寄りだ」  犬は黙って目を閉じました。  再び目覚めたとき、犬は人間の赤んぼうになっていました。目が開いた日に赤ん坊は全てを思い出して、代わりに赤ん坊らしく泣くことを忘れてしまいました。家族は心配して周りを取り囲みましたが、赤んぼうにはどう答えることもできません。すると、高いところから、ニャアと話しかけてくるものがありました。 「おまえは私の同胞(はらから)と契約(けいやく)したね」  かつて島の娘だった、かつてクジラだった、かつてソリ犬だった赤んぼうは、その小さな獣を見つめました。  その家の飼い猫が、青と黄色のふた色の瞳で、赤んぼうの魂の底をのぞきこんで言いました。 「私たち猫には、七つの命がある。おまえの魂は、七たびこの世を巡るだろう」  さて、赤んぼうはやがて再び娘になり、かつての主人が自分の父親であることに気がつきました。そうなると、どうも座りがよくありません。娘は旅に出ました。クジラであった頃に比べたら、人間ができる旅などたかが知れていますけれども、狩人の娘はようようと氷の河を越え、森を抜けて、やがて天を衝く山に出会いました。これはクジラではできない旅だわ、と愉快に思ってしまったのがよくありませんでした。娘は勢いよく進みすぎ、その山のなかばで倒れて息絶えました。  次に目覚めたとき娘は大きな黒い鳥になっていたので、それはそれは喜びました。翼は風を打ち、軽い体は空高くまで舞って、山を悠々と超えました。遠くに、鳥は再び青い海とそこに浮かぶ島を見ました。鳥はそこを目指して命の限り羽ばたき、やがて力尽きて落ちました。  目が覚めたとき、鳥は、とうとう自分が猫になっていることに気がつきました。最後に見えた島には、たくさんの猫が暮らしていたのです。かれらは漁師からかすめた魚や、海べに流れ着くいきものなどを食べては、一日の半分を寝て過ごしました。そこでは仲間たちの誰もが、かつて鳥だった猫をうやうやしく扱いました。 「あなたは6番目のいのちだから」  と、毛玉みたいな子猫に言うのです。 「このなかの誰よりも多くを生きた猫です」  かつてクジラだった子猫は水を恐れませんでしたので、堤防の先っぽでぬくぬくと転がって過ごすのが好きでした。鳥だったこともあるためか、いじわるなカモメたちも子猫をつつきません。二度も人間でしたので、漁師たちの目を盗むのもいっとう上手で、いつもお腹はいっぱいでした。悪くない、と子猫は思いました。今生(こんじょう)はここでゆっくり過ごすのもいいでしょう。なにせ、どうやら次が最後のようですから。  けれどある日、居眠りをしていた子猫は、うっかりして海に落ちました。  沈んでいくさいちゅう、子猫は少し、残念な気持ちになりました。このままでは、きっと魚か何かに生まれ変わると思ったからです。あの黒猫はどうなったのでしょう。最初に約束した黒猫は。今も、まだ猫をやっているのでしょうか。どうやら約束は果たせないかもしれません。  目が覚めたとき……子猫はまだ子猫でした。人間の子どもが、日に焼けて真っ黒な腕で、彼女を優しく抱いていました。 「小さな、ブチのかわい子ちゃん」  少年は言いました。 「君はなんて素敵なんだろう!」  太陽の光が少年の顔にさんさんと降り、そのまぶたのあかあかとした血管を、うつくしく透けるように照らし出しました。  さてこれが、この島に伝わる話です。  ここ、猫島(ねこじま)には、人と猫の合いの子の、その子どもの子どものそのまた子どもが今もいるのだと言う人もいますが、さあ、それはどうでしょう。7番目のいのちがどんな形になったかは、誰も知らないのです。  いずれにせよ、ひとつ確かなことは、異なるいきものとは、かんたんに約束を交わしてはならないということです。どうぞ、みなさんもじゅうぶん、よく考えてみるようにしてください。
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