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紗江がぺこりと頭をさげると、園長がまぶしいものでも見るかのように、すうっと目を細めた。
「原田……原田紗江さん?」
「……はい」
「どうぞ、中へお入りになって。あの子から預かっているものがあるの」
応接室に通され、紗江はコートを脱ぎ、勧められるがままソファへと腰をおろした。古いストーブの上にはヤカンが置いてあり、しゅんしゅんと音をたてている。
「昨日まではいたんですけどねえ」
「柊くんですか?」
「ええ。入れ違いになっちゃったわね」
「あの……柊くんはここでなにを?」
「あら、聞いてないの? ここは、あの子が育った場所なのよ。いろいろあってね、五才の時にここへ来て高校卒業まで」
そんな話は一度も聞いたことがなかった。長く一緒にいたはずなのに、紗江は柊のことをなにも知らない。その事実が今さらになって、胸に苦しくのしかかってくる。
「時々ね、ふらっと遊びにくるの。そういう時は決まってなにか嫌なことがあった時。でも、なんにも言わないのね、あの子は」
優しくほほえむ園長の目は「あなたにも」という含みがあるようで、紗江は思わず目を逸らしてしまった。
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