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なにもかも、すべて。隼人のためだった。髪を短く切ったのも、化粧をしなくなったのも、偽装妊娠をしたことも、なにもかも。
「愛されないって……ぼくは綾美のこと好きだよ?」
「わかってる。でも、そうじゃなくて、そんなんじゃなくて……」
隼人が自分を好いていてくれることも、大事にしてくれていることも、綾美はよくわかっている。はじめからなにもかもをわかった上で、納得した上で、隼人と一緒にいることを選んだのはほかでもない綾美自身だった。
「わからないなあ。どうして? 妊娠の真似事なんかする必要なかっただろ?」
隼人が理解できないのも最もで、綾美は隼人に対し大きな嘘をついていたのだ。その嘘がすべての発端であり、今なにもかもを失わせようとしている元凶でもある。
「ひとつ、聞いてもいい?」
「いいよ、なに?」
少し落ち着いたのか、隼人が綾美の肩を抱き、いつもと同じ優しい目で顔を覗きこんでくる。
「あの人……白いワンピースの……あの人が紗江さん?」
紗江のことは隼人から聞いてはいたが、綾美は一度もその顔を見たことがなかった。自分を突き飛ばした白いワンピースの女。華奢で品の良い顔立ちで、思わず守ってあげたくなるような……綾美の目に映った女はそんなふうに見えた。
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