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「ご自宅、このへんなんですか?」
紗江が立ち去らないので、隼人はなんとなくそう聞いてみる。興味があったわけではない。単なる世間話のつもりだった。
「違いますけど……引っ越そうかなと思って」
「へえ。じゃあ、ご近所さんになるかもしれませんね」
そう言ってほほえむ隼人の顔は、誰が見ても好感をもつであろう、優しく嫌みのない笑顔だった。そう感じたのは紗江も同じのようで、隼人の言葉にはにかんだ笑みを浮かべる。
「あの……わたし、紗江っていいます。原田紗江」
「原田さん」
復唱する隼人に、紗江が少しむくれた顔をする。
「嫌だわ。紗江って呼んでください」
この時に隼人は気付くべきだった。初対面の時から自分のことを「隼人さん」と呼び、そして今こうして二度目の出会いで名前で呼んでくれと拗ねる女の異常さに──。
しかしながら隼人は、もしかしたらご近所さんになるかもしれない相手で、この先もお付き合いがあるかもしれないから、彼女は名前で呼んでほしいと言っているのだと、そう解釈してしまった。
「じゃあ、紗江さん。またお会いしたら宜しくお願いします」
礼儀正しくそう挨拶する隼人に、紗江は満足そうに大きく頷いた。
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