1-1『紗江』

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「翔くん、今日会える?」 『あー、ごめん。今日はちょっと無理なんだ』 「そう。じゃあ……また連絡するね」 『わかった。おれからも連絡する』  電話を切ると紗江は、ほうっと感嘆の息をもらし、片方の手でそっと左の頬を押さえた。年甲斐もなくどきどきしている。ほんのりと頬が熱い。そのことに紗江は恥ずかしさを覚えると同時に、どこか誇らしい気分でもあった。  隼人のことは心から愛していたが、翔のことはとても好きだ。愛情と恋情を秤にかければ、やはり愛情のほうが重いのだろう。だが、隼人に浮気の事実がバレてしまった以上、愛だの恋だのとは言っていられず、隼人の別れたいという意思を尊重するしか紗江には選択肢がなかった。  離婚にあたっての隼人からだされた、たったひとつの条件。 『もう二度とぼくの前に現れないでくれ』  慰謝料を請求しない代わりとして突き付けられたその条件は、紗江にとってはお金を支払うよりつらいものだった。自分が招いたこととはいえ、もう一生、隼人に会えないのかと思うと胸が苦しくてたまらない。それくらいに愛していたのだ。  
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