Memory of the Memory

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「チャンスだと思ったんだ」  安い酎ハイの缶を揺らしながら、聖人は悪戯に笑った。 「記憶が無い…っていうから、今なら智くんと恋人同士になれるかもしれないって。兄弟だって、あいつに好き勝手された汚い身体だって覚えてないなら、愛してもらえるかもって思った」  汚くなんかない、と智洋が即座に口を挟むと、聖人は可笑しそうに笑った。何が可笑しかったのかはわからなかった。 「博打だったけどね。同性の恋人なんてありえない、気持ち悪いって言われる可能性も勿論考えたよ。むしろその可能性の方が高いし」 「そうしたらどうするつもりだったんだ」 「智くんお人好しだから、恋人に忘れられた哀れな男の友人くらいにはなってもらえるかなって」  聖人はまたケタケタと笑った。どうも、既にほろ酔いのようだった。智洋もビールの缶を傾ける。怪我をしてから初めての酒は、身に染み入るようだった。 「あいつが死んでるのはすぐわかったんだ、首の方向が明らかにおかしかったし。でも智くんがまだ生きてるってわかって……慌てて救急車呼んだけど、気が付いちゃったんだよね。智くんが殺人犯扱いされちゃうって。だから救急車が来る前に遺体を隠して、毎日智くんに会いに病院に通いながら業務用冷凍庫買って離れの裏に埋めてさ、嘘みたいに重たい体を運んで冷凍庫に入れといたの。腐ったら臭いが出るからその前にって。本当は別の住居を用意したかったんだけど……流石に間に合わなかった」  智洋は黙って事の真相を聞いていた。聖人は枝豆に手を伸ばす。一粒食べて、美味しい、と呟いた。智洋もそれにならい、ひとつ摘む。 「よくあの土壇場でそこまで頭が回ったな」 「俺こう見えて頭脳派なんだ」 「知らなかったよ」 「隠してたから」  ふふ、と聖人は小さく笑った。 「ずっと、智くんが記憶を取り戻さないように頑張ってた。二階に行くなとか離れに行くなとか、外に出さないようにしたし、ふふ、軟禁だよね」  でも楽しかったなぁ、と聖人は懐かしむように天井を仰ぎ見る。智洋は記憶がなかった間の聖人を思い出した。確かに聖人は、楽しそうだった。 「智くんのことずっと好きだったから、まるで普通の同棲してる恋人同士みたいで楽しかった。一緒にご飯食べて、土いじって、愛し合って……智くんに嘘を吐いている罪悪感も、どんどん薄れて、ずっと続けばいいって…そう思ってた」  どうして気付いたの?と可愛く小首を傾げた聖人に、智洋はこれまでのことを語ってやる。お下がりのタオルを見つけたこと、配達の男性のこと、二階を探ったこと、母の日記――  思えば全て仕組まれたように、するすると紐解けていった。 「智くんは思ったよりも行動派だったんだ」 「好奇心旺盛なんだ」 「ふふ、知らなかった」 「隠してたからな」  先程のやりとりをそっくりそのままひっくり返したようなやり取りに、二人で噴き出した。  カチリと時計の針が動く音がする。見れば丁度日付が変わったところだった。もうあと数時間後には空が白み、日が昇るだろう。そうしたら、夢の時間は終わりだ。二人連れ立って警察に赴き、罪を償いに行く。その後のことは、わからない。自分は、聖人はどうなるのか、再び逢うことは出来るのか――  ザァッと一際強い風が吹いた。窓が悲鳴を上げ、その向こうでカシスの木が揺れている。智洋はそれを見ながら、そっと微笑んだ。  植えたばかりの茄子も聖人が大切にしているカシスも、他の苗も皆駄目になってしまうだろう。この家もどんな経緯にせよいずれは処分することになるだろう。聖人の長い苦しみの記憶と、儚く幸せな夢が叶った古い洋館は、寂しげに風の音を知らせていた。 「聖人」 「なぁに、智くん」 「お互い罪を償ったら……また、一緒に暮らして、カシスを植えよう」  聖人は一瞬瞠目した。 「ねぇ智くん、あのカシスね、琴子さん…智くんのお母さんが植えたものなんだよ。覚えてない?何度かカシスのジャムを作って、お菓子を出してくれたの」  智洋は目を逸らす。取り戻した記憶の中の母は、鬼のような形相で聖人を詰り智洋を嬲る、或いは虚ろな表情で酒を煽り眉一つ動かさずに涙を流す不気味で恐ろしい人だった。植物を育て愛でる趣味があったとは思えない。見つけてしまった日記の中では確かに母が育てていたようだが、実際目にしたことはなく、とても信じられなかった。  しかし、母が作ったカシスのジャムは覚えている。それを貰えない聖人に分けてやっているのが母に知れた途端、作ってくれなくなったことも。  言葉を失う智洋に構わず、聖人は続けた。 「智くんのお母さんが亡くなって、外で寂しそうに揺れているあの木がずっと気になってた。誰も世話をしなくなって段々弱っていく姿が悲しくて…ある日、偶然カシスの花言葉を知ったんだ。俺にぴったりだなと思った。智くんに拒絶されて命を絶った彼女もきっとそうだったんだろうと思うと、嫌いだったけど、憎めなくて…世話し始めたんだ」  聖人は立ち上がり、窓の外を、恐らくカシスを眺めた。智洋もそれについていく。聖人は少しして、振り返った。泣き笑いのような複雑な表情を浮かべて。 「『貴方に嫌われたら私は死にます』……智くん、一生嫌わないでくれる?」  智洋は堪らず聖人を抱き締めた。不安に揺れる瞳を捉え、噛みつくようにキスをする。唇を食み、舌を絡め、それでも足りないと言わんばかりに何度も、何度も。 「一生、愛してる」
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