Memory of the Memory

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 佐久間 智洋は、大層お金持ちの資産家の一人息子だった。両親は智洋を大変可愛がったが、同時に躾にも大変厳しかった。幼い頃から来る日も来る日も勉学に明け暮れ、小さいうちから難しい本を読み、毎日違う習い事に通わされた。それでも智洋は日々両親の期待に応え、両親の愛を一身に受けて育った。  小学校に入ってすぐ、父が一人の少年を連れてきた。智洋と年の変わらないその少年は、まるでビスクドールのように美しかった。今日からお前たちは兄弟だと言われ、智洋はそれは喜んだ。毎日一緒に遊び、毎日一緒に風呂に入り、毎日一緒に布団に入った。少年は最初こそ緊張していたが、智洋の明るさにすぐに打ち解けて花が綻ぶように可愛らしく笑った。智洋はその笑顔に魅せられて、彼のために惜しみなく時間を費やした。  その少年こそが、聖人だった。  しかし、智洋の母は聖人を受け入れなかった。  母は父に怒鳴った。何故私があの女の子供を育てなければならないのかと。施設に預けたらいいと。聖人に聞こえないように庭へ連れ出す日々。父は首を振るばかりだった。  母は聖人にきつく当たった。食事は智洋よりもずっと質素なものを。おやつは与えなかった。食事もおやつも智洋が聖人に分けてやると母は激しく怒った。買い出しに連れていくこともなく、いつも一人で留守番させていた。父は聖人を手元に置きたがった割に無関心で、仕事一辺倒。家にいる方が珍しかった。  すると、今度は智洋が母に反発した。聖人を仲間外れにするなんておかしいと。聖人に意地悪するお母さんなんて嫌いだと叫んだ。  母は、壊れてしまった。  毎日日が高いうちから高い酒を浴びるように飲み、智洋や聖人の面倒は見なくなった。お腹が空いたといえば怒号を浴びせ、口答えすれば外に追い出した。機嫌が悪いと聖人を詰り、ヒステリックに泣き叫びながら聖人に向かって手を振り上げた。それを庇うと、母は発狂したように智洋を何度も叩いた。聖人は智洋の腫れ上がった顔を見て泣いた。そんな聖人を、幼い智洋はギュッと抱き締めた。二人は小さな身体を寄せ合って、深い傷を癒やし合った。  そうして数年後、母は突然ふらりといなくなり、一週間後に遺体で発見された。自殺だった。  葬儀の場で、智洋は泣かなかった。かつては大好きだったはずの母の恐ろしい形相ばかり思い出して、苦しかった。聖人はもっと苦しそうな顔をしていた。父は手を握り合う二人の顔を見てくしゃくしゃに顔を歪め、二人を強く抱きしめた。そして何度も何度も、「すまなかった」と嗚咽を漏らした。二人に見えないよう父が醜い笑みを浮かべていたとも知らず、智洋は父の大きな背中を抱き返した。  父は変わった。夕飯前に家に帰り、智洋と聖人と三人で慣れない料理に奮闘し、失敗した料理も三人で笑い合って食べた。休みの日にはあちこち出掛けた。楽しかった。父は改心したのだと、心からホッとした。    中学生になると、二人の距離が少し開いた。聖人がなんとなく余所余所しくなり始め、一緒に風呂に入ったり一緒に寝ることを拒むようになった。智洋は困惑した。しかし二人とももう身体も大きくなった。いつまでもベッタリの方がおかしいだろう。仕方のないことか、と無理矢理納得していた。智洋は心にポッカリと穴が空いたように寂しかった。理由はわからない。しかし一緒に学校に行き、ご飯を食べ、くだらない雑談に花を咲かせる。嫌われた訳ではないのだと、じくじくと痛む心に蓋をした。  やがて智洋は県で一番の進学校に通い、有名な大学の医学部にストレートで合格した。精神科医になって、母のような心に暗雲を抱えた人を救いたいと告げると、父は目尻に涙を溜めていた。そしてその時初めて、父は語った。母を愛していなかったと。母に求められるままに結婚し、結局虚しさに襲われて外に女を作り、その女を愛してしまったと。聖人の母親のことだとすぐにわかった。二人には済まないことをしたと、父はとうとう涙を溢した。  母に良い思い出がないだろう聖人は、複雑な表情を浮かべつつ「頑張って」と微笑んだ。聖人は近くの大学の経済学部だった。 「智くんみたいに立派な目標なんてないよ」  そう言った聖人の目は、暗かった。  そうして医学生として忙しい日々を送り始めた智洋と、気ままな大学生を体現する聖人は、ますます距離を開いてしまったのだった。  智洋が記憶を失ったのは、二年後のことだ。
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