Memory of the Memory

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 ガチャッと鍵が開く音がして、重い玄関扉が開く。その向こうから、僅かに汗を滲ませた聖人が姿を現した。 「智くん!ただいま」  智洋の顔を見るなりパッと顔を輝かせた聖人に、智洋は顔を上げ、曖昧に微笑んだ。 「あっつー……もう夏だね、すごい汗かいちゃったよ。アイス買ってくれば良かったかな」 「聖人」 「なぁに?智くんもアイス食べたいなら俺今から買いに……」 「聖人、自首しよう」  聖人は動きをピタリと止めた。ゆっくりと智洋を見る。笑顔が凍り付いていた。  智洋は真っ直ぐに聖人を見詰めた。初めて出会った日のことを、今なら思い出せる。父に連れられ緊張に顔を真っ白にしていた聖人の、怯えきった瞳。今の聖人は、あの時の瞳を思い出させた。 「なに、言って」 「思い出したんだ、全部。俺のこともお前のことも、母さんや……父さんのことも」  父さんという単語に、聖人はビクリと肩を震わせた。凍りついた笑顔は引き攣って、はくはくと浅い呼吸を繰り返している。そっと肩に触れると、ガチガチに固まっていた。 「……俺が、突き落として殺してしまったんだろう?」  聖人は小さく首を振る。譫言(うわごと)のように何かを呟いていたが、この距離をもってしても聞き取ることができない。智洋は震える肩を抱き締める。聖人は首を振るばかりで何も話さない。幼い子供のように。  智洋はふっと微笑んだ。嫌がるだろうとは思っていた。聖人は被害者だ。ずっとずっと被害者だ。ありのままを全て告白させるなど、あまりにも酷だ。 「わかった」  聖人はやっと顔を上げた。涙をいっぱいにためたエメラルドグリーンの瞳が揺れている。まるで透明な美しい海の中に落ちた宝石のようで、智洋は一瞬話も忘れて見惚れてしまった。 「俺が、全部一人でやったことにするよ。お前は家を出て、何処かで静かに暮らせ。」 「……ッそんなのだめ!!」  聖人はとうとう涙を溢した。一度溢れたら、壊れたダムのように次から次へと溢れ出てくる。聖人はそれを拭いもせず、智洋の胸を弱々しく叩いた。 「智くんが全部の罪を背負うなんて、絶対だめ!智くんは悪くない、あいつが全部悪いのに!」 「聖人……」 「ねぇ、このまま二人で暮らそう?お金ならあいつのが山ほどある、ここも売り払って、どこか遠くでずっと一緒に暮らそうよ……」 「聖人」  智洋は出来る限りの優しい声で聖人の名を呼んだ。止まらない涙を拭ってやり、そっと額にキスしてやると、聖人は真っ赤になって額を抑えた。それが場違いに可愛くて、笑ってしまう。 「聖人、いずれボロが出る。いつまでも隠し通せたりはしない。」 「だけどっ……」 「聖人、俺はね、殺そうと思ったわけじゃない。だけど、死んでもいいとは思った。」  聖人は反論をやめ、静かに泣き続けた。 「罪は、償わなきゃならない」  人を、父を殺した罪は重いだろう。明確ではないにしろ、殺意はあった。母を、聖人を裏切った父を許せなかった。聖人を汚し、その想いを踏み躙った父など、地獄に堕ちろと確かに思った。  父は確かに許されない事をしただろう。だが智洋は、その父に罪を償うことも許さず命を奪ったのだ。 「俺も、行く」 「聖人……」 「遺体を隠したのは俺だよ。俺が全てを話せば…智くんの罪が、少しは軽くなるかもしれない」 「でも、」 「智くん一人に、背負わせたりしない」  聖人の目は強い光を湛えていた。智洋はそれを見て苦々しく微笑むしかなかった。きっと智洋が全てを被ったところで、この優しい人は苦しみ続けるのだろう。 「聖人、枝豆穫りに行こう」 「え?」 「そろそろ食べ頃だった。……今夜は、二人で遅くまで飲もう」  夜が明けるまでは、(しがらみ)も忘れてこれからのことを考えるのも止め、兄弟として、恋人同士として過ごそう。  聖人はやっと、いつものように花が綻ぶような笑みを見せてくれたのだが、その頬には痛々しい涙の跡がいくつも残っていた。
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