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聖人との生活は、穏やかで、優しくて、刺激がなく、そう正に微温湯のような生活だった。朝日が登るとともに起き、コーヒーを飲んで、聖人の作ってくれた朝食を食べる。聖人はとても料理が上手だった。味気無い病院食とは雲泥の差で、ついつい箸が伸びてしまう。聖人は優しく微笑みながらそれを見守っているので、それがなんともこそばゆい。
後片付けは、最初こそ聖人が引き受けてくれていたが、今は智洋が担っている。聖人は土いじりが趣味らしく、食べ終えて身支度を整えるとすぐに庭へ出ていってしまうのだが、キッチンからその土いじりの様子が伺えるのが智洋のお気に入りだ。主に野菜や果物を育てて、普段の食事に出しているらしい。今朝のサラダに入っていたトマトもそうだし、食後のヨーグルトに混ぜられたカシスのジャムもそうだ。正直どれも美味しい。特にカシスのジャムは甘さ控えめで優しい味がして、それがどことなく懐かしさを感じた。きっと、記憶を失う前もよく作ってくれたのだろう。
片付けを終えると智洋は大抵聖人を追って庭へ出る。日々熱心に育てている植物たちは皆元気だ。
「次は何が採れそう?」
「ん?次はこっちのミニトマトかなぁ。あとこの辺の春じゃがいももそろそろ良いはずだよ。コロッケにする?ポテトサラダ?趣向を変えてお菓子もいいよねぇ、ポテトチップスとかさ、芋餅とか」
頬を染めながら嬉しそうに語る聖人の横顔がとても眩しい。
午前中はそんなこんなでゆるりと過ごせばあっという間だ。土いじりから戻ってきた聖人がまた昼食を作り、午後は本を読んだり他愛のないおしゃべりに興じたりと、気ままな生活をしている。出席日数は計算しているという聖人は大学を休みがちだし、記憶のない智洋は大学を休学状態だ。
古びた洋館で過ごすのんびりとした日常は、智洋の記憶が無いことも手伝って夢なのではと思わされた。
夢ならば、と思うこともある。
例えば夢なら、躊躇うことなく聖人に触れることができるだろう。細い肩を抱いたり、なめらかな頬に手を添えたり、艶かしい唇に触れることも出来ただろう。
今の智洋にはそれが出来ない。例え以前恋人同士だったとしても、その記憶が智洋にはない。どうやって聖人に触れていたのかわからない。聖人だって、恋人と同じ顔をしただけで記憶が抜け落ちごっそり変わってしまった智洋に触れられるのは嫌だろう。と思うと、ちっぽけな勇気をどんなに振り絞ったところで彼に触れようとは思えないのだ。
そう、既に、聖人に心惹かれていた。触れたいと思うほどに。
聖人は時折物憂げな表情をする。美しい見た目に似合わない、どんよりと暗く濁った瞳。その理由を知りたいと思うと同時に、原因を取り除いてやりたいと思う。直接聞いたわけではないが、少なからず智洋が関係しているのだろう。それが酷く腹立たしい。
嫉妬だ。聖人の心を捕らえて離さない、以前の智洋への。自分自身に嫉妬するというのも滑稽な話だが、事実、智洋は記憶を持った自分自身に燃えるような嫉妬を感じていた。それは自分の中にもう一人誰かがいるような、まるで己が二重人格にでもなったかのような不思議な感覚だった。
「聖人」
「ん?」
「ポテトチップスなら俺も作れる」
聖人はきょとんとした。
「あはは、うっそだぁ!ちゃんと揚がるまで待てなくて生焼けが目に浮かぶ!」
楽しそうに笑う聖人の笑顔は、いつまでも見ていたいと思わせる何かがある。それは果たして聖人の魅力なのか、それとも智洋の心の奥底に眠ってしまった記憶がそうさせるのかはわからない。高鳴る胸の鼓動は紛れもなく自分のものだが、聖人への気持ちが一体どこから来るのか、誰のものなのか、ひいては「記憶のない佐久間 智洋」という今の自分が一体何者なのかすらわからなくなっていた。
軽く土を払って立ち上がった聖人に並び、屋敷に戻る。今日はこの後聖人が買い出しに行って、帰ってきたら一緒に夕飯を作る予定だ。一緒に、と言っても智洋にできることはほんのわずかで、レタスを千切ってトマトやきゅうりを切り、サラダの土台を作ることくらいだ。
二人で過ごすそんな穏やかで優しい日常が、酷く心地よく、そしてもどかしい。
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