Memory of the Memory

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「ほらぁ、やっぱり生焼けで上げようとしちゃうじゃん!もう、俺作るから智くんは向こうで待ってて!」  ぷりぷりと怒りの素振りを見せながら智洋をキッチンから追い出した聖人は、よしっと腕まくりをして鍋に向かった。まるで能無しのように扱われて、智洋はすごすごと退散するしかないのだった。 ─── 「……美味い!」  率直に告げると、聖人はどうだと言わんばかりに両手を腰に当ててふんと鼻を鳴らした。 「でしょ、揚げたてポテチは最高なんだから」 「びっくりした、めっちゃ美味い」 「青海苔あるよ、のり塩する?」 「いいなそれ」  待ってて、とにこやかに告げた聖人はくるりと身を翻し、キッチンから使いかけの青海苔と皿を出してくる。熱々のポテトチップスを半分に分け、片方はのり塩に、片方はそのまま塩を振ってうすしおにした。そして出来上がった二種類のポテトチップスを一枚ずつ摘み食いすると、ほわっと表情を綻ばせた。 「ん〜、美味しい!」  人形のように美しい容姿で、まるで本物の人形のように物静かな聖人が、食べるときだけはこうして幼い顔を見せる。それが可愛らしくて智洋も釣られて表情を緩めた。 「幸せそうに食うよな、聖人って」  それを聞いた瞬間、聖人はボッとまるで湯沸かし器のように顔を赤くする。 「も、もう、すぐそうやって子供扱いして…年だって変わんないのに智くんは昔っから、」  聖人はハッとして口を噤んだ。  昔から、と話したところで、智洋にその昔の記憶はない。昔というのがいつのことなのかさえわからない。聖人との出会いも軌跡もなにもかも。  聖人が怯えたようにそろりと視線を寄越す。智洋はふと力を抜き、柔らかく微笑んでみせた。 「昔から、なに?俺は昔、どんな風に聖人に接したんだ?」  教えて、と出来得る限り優しく言った。聖人は躊躇うように視線を泳がせる。その間もじっと眼差しを和らげて聖人を見つめていると、聖人はやがてぽつりぽつりと話し出した。 「昔から、智くんは優しくて、頭も良くて格好良くて…俺はいつも智くんの後ろに隠れて守ってもらうばっかりで…だから、いつも智くんには弟みたいな扱いされてて」  視線を泳がせながら迷いがちに語るその声は柔らかく、時折口元は笑みを浮かべていた。懐かしくも大切な思い出であることがわかる。智洋は失ってしまった聖人との思い出を少しでも取り戻すべく、慎重に言葉を選んだ。間違っても、以前の自分に嫉妬しているなどと勘付かれたくなかった。 「幼馴染みか何かだった?」 「あ、えっと…うん、そんな感じ、かな…」  聖人は歯切れ悪く、どうにも曖昧に答えた。答えたくないような、何か事情があることを裏付けるように聖人は下を向いて拳をギュッと握った。そっと覗き見たその顔は険しい。眉根を寄せ、視線は刃物のように鋭い。唇を真一文字に引き結ぶ姿は、過去の恋人との思い出を語るには、不自然だ。その瞳に見えるのは恋情などではなく、そう寧ろ、憎悪のような―― 「……だから、今度は俺が智くんを支えるからね!」  聖人は僅か一瞬でその表情を引っ込めた。あまりの変わり身の速さに、尋ねるタイミングを逸した智洋は力無く笑う。花が綻ぶような可憐な微笑みに嘘は見受けられないのに、一体どうしてあんな顔をしたのだろう。智洋はまさか幻覚でも見ていたのかと目を擦った。 「……頼もしいな」 「ふふ、智くんは子供扱いするけど!実際子供じゃないからね」 「でも、独りで抱え込むなよ」  何を抱え込んでいるのかは生憎検討もつかない。記憶のない智洋には致し方ないことだ。だがそれを少しでも軽くしてやりたいと思う今の智洋の気持ちは、紛れもなく本物だ。しかし何故だろう、それはきっと以前の智洋よりも強いものとわかる――  とその時、智洋はぎょっとした。聖人の白く滑らかな頬を、大粒の雫が伝ったからだ。 「ま、聖人?どうし――」 「なん、何でもない、ごめん。ちょっと、……ごめん……」  聖人は懸命に涙を拭ったが、後から後から溢れ出るそれはなかなか止まらない。すん、と聖人が小さく鼻を啜った時、智洋は居ても立っても居られず、その弱々しく震える身体を抱き締めた。細くて、小さな身体だった。 「と、智くん?どうし……」 「俺じゃ……今の俺じゃ、駄目か?」  腕の中の震えがピタリと止まる。ゆっくりと智洋を見上げるエメラルドには、驚きと戸惑いがありありと浮かんでいた。そこに映る自分の顔は酷く情けない。嫉妬に狂った哀れな男の顔だ。  聖人の顔が一瞬歪んだ。大きな瞳いっぱいに涙を溜めて、ゆっくりと聖人は首を振る。はらはらと溢れた涙が宝石のようだった。 「駄目なわけない……どんな智くんだって、好きに決まってる」 「聖人……」 「智くんこそ駄目じゃないの?智くんにとっては、俺なんて会って間もない得体のしれない、しかも男なん……」  その先を、智洋は言わせなかった。重なった唇は柔らかくて、少しだけしょっぱかった。涙の味なのかポテトチップスの塩味だったのかは、わからなかった。
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