1 ぼくの日常

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1 ぼくの日常

「お……っと、大丈夫か」  大急ぎで曲がり角を曲がったから、向こうから人が来ていたことに気づかなかった。曲がった瞬間にドンとぶつかって、ぼくの体は気持ちがいいくらいコロンと転がってしまった。 「いたた……って、あの、こちらこそすみません! 前、ちゃんと見てなくって……あ、」 「いや、オレのほうこそ前を見ていなかったんだ。すまんな」  手を差し出してくれたのは、働いてる弁当屋にいつも弁当を買いに来る常連さんだった。とても体格がよくて、いつも着ている服からガテン系ってやつかなと想像している。  見た目からすると、たぶん三十代くらい。ちょうど死んだお父さんと同じくらいかなぁなんて思って、勝手に親しみを感じていた。お父さんも体格がよくて、スーツを着ていてもよくガテン系に間違われていたんだよなぁ。 「お、ボウズは弁当屋の……」 「はい! いつもありがとうございます!」 「おぉ、元気がいいな。子どもは元気が一番だ」 「あはは、ありがとうございます」 (あー……、ぼく、もうすぐ十八歳なんだけどなぁ)  少なくとも「元気が一番」なんて言われる年じゃない。それでも体が小さいからか、年齢より幼く見られることがよくある。 「おっと、それより大丈夫だったか? 思い切り跳ね飛ばしてしまったな、すまん」 「大丈夫です。ぼく、頑丈なんで」 「そうかそうか。人間、まずは体からって言うからな。丈夫なのは何よりだ」  そんなことを言いながら、常連さんがぼくの頭をワシワシと撫でた。 (……うん。これは間違いなく子どもだと勘違いしてる)  ほかのお客さんたちからもよく中学生に間違われるけれど……。まさか、小学生と思っていたりは……しないよね? 「そういやボウズ、ものすごい勢いで飛び出てきたが、急いでいたんじゃないのか?」 「あ! そうだ、卵! 今日、夕方のタイムセールで卵が安いんです! あの、ぼく急ぐので、本当にすみませんでした!」 「あぁ、いいさ。オレのほうは何てことないしな。お使いがんばれよ」 「はい、ありがとうございます!」  お使いじゃないんだけどと思いつつも、常連さんにまた頭をワシワシされてなんだか照れ臭かった。そのままペコリとお辞儀をして、猛ダッシュでスーパーへと向かう。  今日はタイムセールの卵、それにキャベツと玉ねぎを買いたい。そろそろお米が少なくなっているけど、お米って高いからなぁ。うん、しばらくお米は我慢しよう。  そんなことを考えながらたどり着いたスーパーで目的の卵と諸々、それに叩き売りされていたインスタントスープを買うことができて本当によかった。 「ボウズ、昨日は卵、買えたか?」 「あっ! はい、間に合いました!」 「そりゃよかった」  次の日、ぶつかった常連さんが弁当を買いに来た。今日もガテン系って感じの服にサンダル履きで、注文した弁当はいつもと同じ十個。まさか一人で食べるんじゃないだろうけど、この常連さんはいつも十個買って行く。 (もしかして職場の人たちの分かな。二個くらいなら一人で食べれそうだけど)  そんなことを思いながら、ボリュームたっぷりの唐揚げ弁当三個に焼き鮭弁当二個、コロッケ弁当一個にのり弁四個を袋に入れる。お会計をして、二つになった袋を常連さんの前に置いた。 「ボウズ、またな」  ニカッと笑った常連さんは、昨日と同じようにぼくの頭をワシワシと撫でてから片手に二つの袋をさげて帰って行った。 (もしかしなくても、中学生くらいには思われてそうだなぁ)  ワシワシされた頭を触りながら、「ぼくってそんなに小さいかなぁ」なんて少しだけ思った。 (でも、ワシワシされるのは、ちょっといいかも)  ずっと前にお父さんにしてもらったのを思い出す。お父さんはぼくを褒めるとき、いつも大きな手でワシワシしてくれた。それを思い出すからか、なんだか胸がほわんと温かくなる。「いつもがんばってるな」って褒めてもらったような気がして元気が出てきた。 「よーし、がんばるぞー」  まだお昼前だから、忙しくなるのはこれからだ。 「奏多(かなた)ぁ! こっち、いつもの佐伯さんとこに届けて!」 「はぁい!」  おばさんに声をかけられて、大きな袋を二つ持って近所の事務所に向かう。ここはいつも十一時半に十五個の弁当を届けることになっている常連さんだ。  いつもどおり受付に持って行ったら、いつものお姉さんが「はい、お裾分けね」って言ってお菓子をくれた。「ありがとうございます」と言って事務所を出たところで、今度は顔見知りのドライバーのおじさんが飴玉をくれる。 「ぼくのこと、子どもだって思ってるんだろうなぁ」  たぶん、毎回ぼくが嬉しそうにお菓子をもらうせいだ。 「まぁ、嬉しいのは本当だし仕方ないか」  お菓子を買ってもらったのなんて、どのくらい前だろう。一人になってからは買うことができないから、もらえるのは正直嬉しい。そのせいで子どもっぽく見えるんだとしても仕方がない。  心の中でもう一度お姉さんとドライバーさんにお礼を言ってから、事務所を後にした。  弁当屋に戻ると、出入り口に行列ができていた。まだ十二時前だけれど、ここから二時間くらいはお客さんがひっきりなしにやって来る。ぼくは慌てておばさんとレジを交代し、人が途切れる午後二時過ぎまでせっせと接客をこなした。  しっかり働いたあとは、夕方のタイムセールに向けて猛ダッシュだ。今日狙っているのは特売の豚肉で、ぜひとも手に入れたい。 「……っと!」  曲がり角を曲がる直前に、向こう側に人影が見えて慌てて立ち止まった。 「おっ。また会ったな、ボウズ」 「あ、」  曲がり角から現れたのは、ガテン系の服を着た常連さんだった。ギリギリでもぶつからなくてよかった。 「今日もお使いか?」 「ええと、お使いじゃないですけど、特売の豚肉があって……」 「おっと、そりゃ急がないと売り切れちまうな」 「はい、猛ダッシュで行ってきます」 「おう、がんばれよ」 「はい、ありがとうございます!」  別れ際にまた頭をワシワシされたからか、いつもより速く走れた気がする。  もちろん特売の豚肉も買えたし、チラシになかった臨時タイムセールで鶏肉を手に入れることもできた。これだけあれば大満足! ……ってわけにはいかないけど、久しぶりにお肉を使った料理ができる。  まぁ、料理って言っても野菜と一緒に炒めるか、あとは鍋のように煮るくらいしかできないんだけどね。 「鍋っていうのもいいかなぁ」  まだ少し寒いから、鍋が食べたくなってきた。鍋にしては野菜の種類もお肉の量も少ないけど、そこは諦めるしかない。 「そうそう、お肉を食べられるってだけで贅沢なんだし」  それに、お肉を食べれば元気が出る。元気になれば、次の日もしっかり働ける。 「よーし、明日からもがんばるぞー」  お肉を小分けにして冷凍室に入れてから、今日はキャベツともやしと豚肉を塩コショウで炒めたものにしようと決めた。なぜなら、弁当屋を出る前にテレビで見た天気予報で「明日は寒くなるでしょう」って言っていたからだ。  本当は野菜炒めだけじゃなく白米も食べたいところだけど、お米を買うのを諦めたから今夜は我慢しよう。それに昨日買ったインスタントスープもある。  小さな台所で野菜を並べたところで、まだ両親にただいまの挨拶をしていなかったことを思い出した。 「今日も一日、がんばったよ」  仏壇なんて買えなかったから、小さな棚に置いただけの二人の位牌。脇には弁当屋のおばさんにもらった花瓶に、堤防で見つけた花を入れてお供えしている。 「さーて、ぼく特製の野菜炒め作るぞー」  こうして、いつもどおりのぼくの一日は過ぎていく。
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