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恩師の葬儀があった。私は棺桶の中の先生のシワだらけの手から、目が離せなかった。急に学生時代のことを思い出した。
「ー先生って潔癖症だよね。」
友達がふと呟いた。
「潔癖症?」
「だっていつも白い手袋してるじゃない。」
確かに先生はいつも白色の手袋をはめていた。
「あなた先生と親しいのだから聞いてみてよ。」
私はいじめられっ子だった。逃げるように私立中学に入った。先生はそんな私を認めてくれた。救ってくれた。私は先生のことが知りたくなった。
「先生はなぜ白い手袋をしているのですか?」
一瞬、先生の時が止まった。悲しそうな笑みを浮かべていた。今まで見たことのない顔だった。
「僕の手は汚れています。」
先生の小さなつぶやきが聞こえた。
「汚れてる…?」
先生は後悔しているような顔をした。何故かほっとした顔にも見えた。
「僕の手は人殺しの手です。」
戦後40年。戦争経験者がいても不思議ではなかった。
「僕は戦地で人を殺しました。あなたは心の強い人です。本当の苦しみを知る人です。どうか僕の話を聞いていただけませんか。」
真剣な目で私を見た。私は静かに頷いた。
「あれは今からちょうど42年前です。僕は兵士としてある島にいましたー」
先生は、ぽつりぽつりと話し始めた。
「彼は青い目をした青年でした。彼は僕と同じように銃を持っていました。しかし、僕も彼も銃を構えていませんでした。僕は咄嗟に銃口を彼に向け、引き金を引いてしまいました。」
先生は淡々と、そう話した。
「もしかしたら、彼は僕を撃つ気がなかったかもしれません。彼も僕も死なずに済んだかもしれません。彼には彼を待つ家族がいたかもしれません。しかし、僕は殺してしまったのです。」
先生の話はとても辛かった。それよりも先生がこの苦しみを、40年も背負っていることが苦しかった。
「僕は人を殺したのです。僕の汚れた手では、あなた方に触れることは許されません。」
私は思わず先生の手を握った。先生はとても驚いた顔で私を見た。
「それだけですか?」
「え?」
「本当に先生の手はそれだけですか。」
私は涙を流していた。
「先生の手は人殺しの手かもしれません。でもその手は、私を助けてくれた手でもあります。」
先生は、はっとした顔をしていた。
「私が先生の重荷の一部を背負います。先生が私の重荷を背負ってくれたように。」
「あなたは本当に強い人だ。本当ならこんな苦しみ、背負わせたくはなかった。」
「先生、人の手とは不思議な物ですね。その手によって長い間苦しむ人もいれば、その手によって一瞬で救われる人もいる。その手で人を傷つけて何にも思わない人もいる。」
先生はいつもの優しそうな顔で私を見た。
「それなら私は先生のように、人を救う手を持ちたい。」
先生は少し泣いているような顔で私を見た。
「ありがとう。」
あれから25年が経った。私の手は人を救えているだろうか。先生に託され荷物と、この手で人を救える人間でありたい。
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