切ない夜明け

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彼が出て行った後、ひとりで微睡んでいたが、時間も9時になろうとしている。そろそろ動き出さなくてはいけない頃になった。ベッドを抜け出し、軽くシャワーを浴びて、髪を乾かし、ほんのりとメイクを施す。 と、携帯の鳴る音がした。
わたしの携帯ではない。
はっと思い、サイドテーブルのドリンクメニューの下を見る。
豊の携帯がそこにあり、着信音を鳴らしていた。
まさかの忘れ物だ。彼にしては珍しい。
というか、こんなことは初めてだ。 液晶画面に映し出された相手の名前は、『由紀子』と表示されている。
豊の奥さんだろうか? 奥さんの名前など訊いた事がない。
どうしたものか、まさか、出る訳にはいかない。
しばらく様子を伺う。
着信音は鳴り止まない。
せめてマナーモードにしておいて欲しかった。 その電子音が部屋中に響き渡り、わたしは怖くなって耳を塞いだ。
それでもその音は警笛のように脳内で増幅され、どこか遠くの方から迫り来る恐怖をわたしに与えた。
もうこれ以上は耐えられないと眼を見開いた途端に着信音は不意に止まった。 ホッとするのも束の間、またすぐに鳴り出す。
もうこうなったらいっその事出てやろうかと居直ってみる。
知らない女が夫の携帯に出たとしたら、妻はどうするのだろうか。
道で拾ったとか、タクシーの座席に置き忘れてあったとか、いろいろ言い訳も考えつきそうた。
なるようになれ、とばかり、わたしは携帯を手に取った。 通話ボタンを押し、耳にあてる。
急に思い立った。そうだ、何も言わない、という手もある。
今考えてみるとわたしの好奇心が勝ってしまったのだ。
《もしもし》
初めて聞く奥さん?の声
思ってたより若く聞こえる。
動揺がさざなみの様に広がる。
《もしもし、聞こえてる? 何か言ってよ》
少し苛立った声に変わりつつある。 「あ、あの……」思わず声を出してしまった。
どうしよう。
《えっ、誰?》
相手は紛れもなく戸惑いの声になった。
「あ、わたし、あの、佐藤と申しまして……」
《佐藤さん? どうして? これユタカの携帯じゃないの?》
その質問をされた瞬間、頭の中で考えていたいくつかの言い訳がどこかへふっ飛んでしまった。
わたしは言葉につまり、頭が真っ白になる。咄嗟に通話ボタンを切断してしまった。
そして、携帯をそのままホテルのテーブルの上に置いたまま、わたしはチェックアウトしてしまったのだ。
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