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ここがスタバか。
緑の看板の前で、俺は小さく深呼吸をした。
あの日のことを思い出した。
「えっ、小湊くん、スタバ行ったことないの〜? 一回も? え、逆に凄くない? マジ絶滅危惧種だよ、トキだよ、トキ。トキ人間だよ」
俺が密かに十二年ほど想いを寄せている磯川さんに先日そう言われた。
それを、悪友の島内に言ったところ、
「そもそもお前、十二年も想い寄せてるってキモいぞ。スタバとか以前の問題だわ」
と、厳しい意見を頂戴した。しかし、仕方ないじゃないか。俺は雑魚だ。今は想いを寄せることしかできない。あらゆる経験が不足しているのだ。ならば、せめてスタバくらいは行ったことのある男になろうと、ここに来た。
しかし、ここがスタバか。
外から見ると、俺と同い年くらいの人も多いが、やけにお洒落な人や格好いい人が多い。ベレー帽被りか、丸眼鏡かけたうっすら茶髪の前髪揃えか、異様に大きいシャツを着たパソコンいじり男等が座っている。
未だにお母さんと一緒にショッピングモールに行って、帰りに本屋で好きな本買ってもらってる大学生の男はいなさそうだ。
そんな一階級かニ階級上のクラスに混じって俺は今からここでコーヒーを注文して店内で飲みきらないといけないのか。
できるだろうか。
いや、できるできないじゃない。しないといけないのだ。
俺は男になる。
膝を叩いてドアを開ける。そこには異空間が広がっていた。ドアを開けた俺のほうを誰も見ない。店員も見ない。俺のことが見えてるのだろうか。だが一番手前の席で、室内なのにサングラスをかけてる若者たちが俺を見て笑っている気がした。
「へい、キッズが来たぜ」
「おい、お前キッズに言ってこいよ。ママはどこだ? ってな」
「ママが美容室で髪染めてる間に来たのかな? って」
「ガハハハハハ」
と、笑われている気がした。
そもそも入ったはいいが、これからどうすればいいんだ? 注文か? それとも、先に席を取りに行ったほうがいいのか? でも俺はあいにく小さなポーチしか持っていない。小さなポーチで場所は取れるのか? いや、無理な気がする。
よし、やはり先にレジに並ぼう。だが、どこに並べばいい? 口をわなわなさせながらも、冷静を装ってあたりを見渡す。
レジの機材があるカウンターを見つけた。ここで注文するのだろうか。いや、だとしたら、このレジに向かって右横でぼんやりしてる客はなんなんだ? そして逆側のレジに向かって左側で並んでいる人たち。この人達は注文をするために並んでいる人たちなのだろうか。いや、しかし確証がない。俺は念の為、レジの奥で作業をしている綺麗な店員さんを呼んだ。
「すいません」
変に大きな声が出た。視線を感じる。
「はい?」
「あの〜、どこに並べばいいんですか?」
「は、い?」
同じ「はい?」でも二回目の「はい?」は全然違う「はい?」だった。眉毛が八の字になっていた。俺は異星人だと思われたのだろうか。俺は顔を真っ赤にして、逃げるように震える腕を隠しながら左側の列に並んだ。切り替えよう。
列はゆっくり進んでいく。
そうだ。いったい俺は何を頼めばいいんだろう。たしか、島内の情報では迷ったらトールを頼めとのことだった。
トールか、よし。
そして、お持ち帰りではなく、店内で飲むことも伝えないといけない。これはファストフードの店と変わらないだろう。
列が進みだした。やはり、会計が終わった人はレジの右側で待っているらしい。皆気だるそうに待っている。噴水広場で遅刻している彼氏彼女を待っているような雰囲気だ。俺も会計が終わったらあの感じで待たないといけないのか。
決意を固めると、いよいよ俺の番が来た。レジの女性は百五十センチ顔なのに、俺より遥かに高い場所から俺を見下ろしている。小さめのクラゲくらいの顔の大きさだ。足元が見えないので高い場所に立っているのだろうか。
緊張して、相手からの第一声を待っていると、あちらはあちらで戸惑っているような表情だった。
あれ? もしかして先行は俺なのか? 慌てて注文に移る。
「え〜と。じゃあ、トールで」
自信満々にそう言ったが、相手からは何も返ってこない。ただ困惑の表情をしている。
「あ! 店内で飲んでいきます」
忘れていたと思い、そう言った。しかし、それに対しても、店員は何も言ってこなかった。ただ困惑の表情が増していた。この数分で眉毛を八の字にする女性を二人も見た。もしかしたら俺は今、不審者と一般人の不審者寄りなのかもしれない。
「あの、トールといっても、どの商品のトールですか?」
小顔の女性が、気持ちを切り替えたように笑顔で聞いてきた。
そうか、トールというのはコーヒーの種類ではないのか。じゃあどういう意味なのかは分からないが、よろしくお願いしますみたいなことだろうか。シルブプレみたいなものか。だとしたら、コーヒーの種類を選ばないとそりゃ駄目に決まっている。俺は反町隆史じゃないんだから。
急いでレジの後ろの壁にあるメニューを見る。レジ台の上にもあることに途中で気付いたが、今更後ろに折り曲げた首を戻すことはできなかった。
「ブレンドコーヒーのホットでお願いします」
こういうときは一番左上のメニューを頼んでおけば間違いない。俺の今までの半熟人生でもそれくらいは分かる。
「サイズはどうされますか?」
サイズ? あぁそうか、サイズもあるのだ。
「Mで」
ポカンとした小顔の店員。このタイミングで名札を見た。大森さんというらしい。どう見ても小森顔なのに。
「あ、当店Mというサイズはなくてですね、トールがそれに当たりますので、それでよろしいですか?」
「は、はい」
俺は言われるがままに頷いた。そうか、トールというのはサイズのことなのか。くそっ、島内のやつ。そこまではっきりと教えてくれないと。マクドナルドのレジカウンターでM一つ下さい、と言ってるようなものだったじゃないか。
しかも、店員さんの言うトールはゴールとかモールの発音だった。俺は人名の徹の発音で言ってしまったぞ。くそっ、今日は何回恥をかいたら気が済むんだ。
お金を払い、右のお洒落な待ち方選手権会場に着く。皆思い思いの待ち方をしている中、俺は直立不動で待つ。そういえば、なぜここの客は皆あんなに丈の長いコートを着ているのだろう。
隣のレジで紺のビックサイズのパーカーを着たおじさんが注文している。あんなに丈の長くて大きいパーカーは見たことがないが、声もかなりの大きさだ。
「カフェ・モカのねじりはちまきベンティで」
ねじりはちまき? 俺はついレジのほうを見てしまったが、レジの大森さんは「かしこまりました」と言って涼しい顔で対応をしている。俺のときよりよっぽど取り乱していい案件だと思うのだが。
また右を見ると、お洒落な待ち方選手権の参加者は誰もいなくなっていた。残りは俺だけだ。全員の視線を集めている気がして、右足を左足と絡めて前後にする立ち方に変えていると、
「ブレンドコーヒー、トールでお待ちのお客様〜」
と、大森さんとは違う店員が呼んでいた。右手を小さく掲げて自分の考える英国紳士の様相で近付いていく。
その茶髪で目が大きい女性店員は、視線は他のところに配っていたが、口だけは大きく笑っていた。英国のピエロを意識しているのだろうか。
カップを丁寧に取り、震える手で店内の空いてる席を探す。
店内中央あたりに空席を見つけ腰を下ろす。よりによって、こんなに皆の視線を感じる席に座ってしまった。とは言っても、あとは飲むだけだ。なんの問題もないだろう。だが、あたりを見ると異様な雰囲気を感じた。
右手を見ると赤いハッピを着て頭にハチマキを巻いたおじさん四人がテーブルを囲んでいた。
「いや〜、まさか一等があんなに早く出るとはねぇ」
「やっぱり一等の玉、最初は抜いとかないといけないな」
「でもご時世的にそんなことがバレたらやばいよ」
「そうだよ、コンちゃんがやってた夜店のくじ引きでも、変な大人にくじ買い占められて一等入れてなかったのがバレたらしいし」
「そりゃ大目玉だな」
「ハッハッハハッ」
全員楽しそうに大声で笑っている。
だがなぜだ。なぜ、電気屋とかでたまにやっているガラガラくじのおじさん達がスタバで二次会をしているんだ。ふつう居酒屋とかじゃないのか? スタバとはそこまでに客層が広いのか。
左手を見ると、中学生くらいの男子が二人でいる。だがお互い目も合わせず各自スマホをいじっている。たまに声を交わしているが、一言二言喋ってすぐまたスマホに目を移す。
これはファミレスのドリンクバーを飲みながらやる男子中学生特有の時間のつぶし方ではないか? スタバとはここまで年齢層が広いのか。
さっきまで、アウェイの風を感じていた俺だったが、急に自分がまともな客に見えてきた。リラックスした気分でコーヒーを飲む。 うむ。美味しい。気を許すとフードコートでコーヒーを飲んでいる気分になるが、目を閉じてほのかに流れているBGMに耳をすませば再び上質なコーヒーの風味に戻れる。
だが、俺の前方にまたも刺客がやってきた。先ほどレジでブレンドコーヒーのねじりはちまきのベンティとやらを頼んでいたおじさんだ。彼の手にはやけに大きなねじりはちまきと空のカップが握られていた。
腰を下ろし空のグラスをテーブルに置くと、パーカーの裾を捲りだした。
まさか? 俺は目を疑った。
おじさんはねじりはちまきを、思いっきり力を入れて絞った。するとはちまきから茶色の液体が出てきてカップに落ちていく。
まさか、あれがブレンドコーヒーなのか?
周りの客は誰もそれを珍しそうな目では見ていない。俺だけだ。
突然、後ろから「くくくく……」と笑う声がしたので振り返ると菊人形のような髪の毛をした女性がこっちを見て笑っていた。
さらに、「フラペチーノおいしっ」と独り言のように呟いていた。
和テイストの客が洋テイストのものを飲んでいる違和感に俺は耐えれなくなり、コーヒーを持って店を出た。気味が悪いったらなかった。
なんなんだ、スタバって。これがスタバの洗礼なのか。俺は磯川さんとの距離を縮めることを半ば諦めて、外から店を振り返った。
入口を見ると真っ黒な闇になっていた。もう、入れないのだろうか。
どうなっているんだ。スタバにも色々なタイプのスタバがあるのか。今度磯川さんに言ってみよう。怪しいスタバを見つけたと。
だが、さっきから足に違和感を感じている。おかしい。何か上手く歩けない気がするのだ。足を見てみる。
あ。やっぱり、正規のスタバじゃなかったんだ、あそこ。
俺の足は消えかかっていた。
ふと店の看板を見てみると、そこに書かれていたた「スタバ」の文字が漢字で「廃場」になっていた。
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