どっちがご主人?

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猫は20年を生きると、猫又(ねこまた)という妖怪になる。 尻尾が裂け、2足で歩き、人語を理解する。 人を襲い、食べてしまうこともあるという。 そんな言い伝えを思い出しながら、俺は眼前の生きものを見つめた。 白黒のぶち猫だ。 かれこれ2時間以上、ホットカーペットの上で丸くなっている。 ユズという名前のこの猫は、ちょうど20年前に我が家へやってきた。 近所の家で産まれ、飼い主募集をしていたところへ手を挙げたのだ。 娘の強い希望によるものだった。 もう20歳か。早いもんだ。 当時小学生だった娘は2児の母親になっている。 俺も歳をとるわけだと、白いものが混ざる髭をさすった。 「ユズ」 名前を呼ぶと、顔だけこちらを向けてニャアと鳴いた。 腕を伸ばし、柔らかな体を撫でる。 「お前、ほんとは喋れるんだろ?」 ユズはきょとんと丸い目を向けている。 いつも通りの、何を考えてるんだかわからない顔だ。 「なんてな」 苦笑しながら撫で続けると、ユズは気持ちよさそうに体を伸ばした。 「なあに、またその話してるの?」 妻の千恵子(ちえこ)が、2人分のコーヒーを淹れて戻ってきた。 マグカップを置き、ユズの隣に腰を下ろす。 ユズは一瞬立ち上がりかけたが、オヤツではないと知ってまた寝ころんだようだ。 「だって、すごいと思わないか。名前を呼べば返事するし、怒られると舌を出すし。何より、ずっと元気だ」 「そうねえ。毎年この冬は越せるかしらって心配するんだけど、気が付けばケロッとしてるのよね」 当初は飼うことを渋っていた妻も、今では進んでユズの世話をしている。 老い先短いからと、高級キャットフードを買い与えるほどに甘くなった。 「そうだ。優里(ゆうり)からユズの写真送ってって言われてたんだわ」 娘の優里は特にユズを溺愛している。 結婚を機に県外へ引っ越した今も、帰省すれば親より先にユズの顔を見に行く始末だ。 千恵子が携帯電話のカメラを向けると、ユズは体を反転させて正面を向いた。 「いい子ねぇ、ユズ。ほらこっち見て」 ユズはニャアと鳴くと、レンズを覗き込むようにしてそのまま静止した。 「ほらな。ぜったい俺たちの言葉を理解してるよ」 「そのうち本当に人の言葉を話し始めるかもしれないわねぇ」 親バカならぬ、飼い主バカの2人だった。 千恵子と言い争った時も、優里と進路の件で衝突した時も、ユズがいたおかげで場が和んだことが何度もあった。 ユズは、紛れもない家族の一員だ。 そんな思いを知ってか知らずか、もっと撫でろとばかりに膝に乗ってきたので、尻尾の付け根あたりを優しく掻いてやる。 我が家のアイドルはぴんと尻尾を伸ばし、満足げに喉を鳴らした。 つられて俺も笑顔になってしまう。 「長生きしろよ、ユズ」 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 深夜2時。 オレはゆっくりと体を起こし、大きく伸びをした。 この時間は頭が冴えていけない。 耳を動かし、周囲の様子を伺う。 寝室のベッドにはご主人夫婦が眠っている。 2人の隙間がオレの定位置だ。 日課の爪とぎも毛づくろいも、寝る前に終えたばかりだった。 時間を持て余すとはこういうことかと、オレはまた夫婦の隙間に体を丸めた。 しかし昼間のご主人には驚いた。 上手く隠していたはずだが、まさか勘付かれていたとは。 人間の言い伝えも侮ったもんじゃない。 尻尾が裂ける。 2足で歩く。 人語を話す。 人間を襲う。 食べる。 全て本当の話だ。 ご主人は20年と思っているようだが、実際は15歳を超えたあたりから体に霊力(みたいなもの)を帯びることができるようになる。 個差はあるが、その後何年かして十分な霊力が溜まると、オレたちは正真正銘の「化け猫」になるのだ。 もし諸君が猫を飼っていて、老いてますます血気盛んなようなら注意したほうがいい。 それは若造の化け猫だ。 もし諸君の知り合いで不自然な失踪を遂げた人がいるなら、ぜひ調べてみてほしい。 おそらくその家では、高齢の猫を飼っていたはずだ。 さて、誰にしようか。 1番美味そうなのは娘だが、たまにしか家に帰ってこないため難しい。 妻は瘦せぎすで骨ばっているし、不味そうだから却下だ。 やはりご主人だろう。 1番世話をしてくれた人間の体に牙を立てる瞬間が、何より堪らない。 オレは静かに寝息を立てているご主人の顔を覗き込む。 自然と溢れてくる涎を、ざらついた舌で舐めとった。 霊力が溜まるまであと少し。 だから、せいぜいその日まで。 「長生きしろよ、ご主人」
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