顔合わせ食事会

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顔合わせ食事会

ガチャン。 「行ってらっしゃい…」 玄関のドアが閉まる音を聞いて小さく呟き、光広はベッドから起き部屋を出る。洗面台に向かい、鏡の左右に並んだ歯ブラシを眺め、右側の自分の歯ブラシを取った。 歯を磨き顔を洗ってキッチンに行き、コーヒーメーカーに水とコーヒー豆をセットしてスイッチを入れる。ダイニングの椅子に座り、光広はぐるりと部屋の中を見回した。1人で迎えていた朝とは違う、ふわりと部屋の空気が柔らかく感じる朝だった。 1ヶ月前、突然母親から連絡が来て、直接この部屋に呼ばれた。そして光広は母親からこう言われたのだ。 「今日からここに住みなさい。1ヶ月後に、光広には結婚してもらうわ」 「はぁ? 結婚? 何言ってんだよ、急に」 「本来なら長男の敦広が結婚する事になっていたんだけど、仕方ないでしょ。帰って来ないんだから」 「だから、俺が結婚? って、相手も知らないのに、結婚なんて出来るか!」 「お相手のお嬢さんも、あなたの事は知らないでしょ。敦広とは一度だけ、彼女が5歳の時に会ってはいるんだけど、それから会ってないから、成長したお互いを知らないの」 「はぁ? どういう結婚だよ。本当にそんな結婚、ありえんのかよ!」 「この結婚は、お母さんとお母さんの親友の映子ちゃんとの昔の約束なの。映子ちゃんは老舗呉服店の跡取で、お母さんは金崎旅館の跡取。お母さんの後、跡取は今は光広しかいないし、映子ちゃんにも娘さんしかいないの」 「その娘と結婚しろって事? で、跡取を作れって?」 「ふっ、理解するのが早くて助かるわ。そういう事。だから1ヶ月後に『顔合わせ食事会』をする事になったから、分かったわね」 「なんで、突然、今なんだよ。俺、まだ25だぜ。結婚なんてまだ考えてないし……それに…」 「お相手のお嬢さんが25歳になるの。結婚して子供を産むには丁度いいんじゃないかって話になって、決まったのよ」 「俺達の事は何も考えてないんだな……跡取の事しか…」 「見合い結婚なんて普通にあるでしょ。金崎旅館をなくさない為には必要な事なの。分かってちょうだい」 「見合い結婚って、跡取の事が前提なら、こんなの政略結婚だろ」 「それの何がいけないの? お互いの老舗店を守るには、これしかないの。そうしなければ、金崎グループはおろか、金崎旅館に来て下さっているお客様の事も見捨てる事になるのよ」 母親にそう言われ光広は何も言い返す事が出来なくなった。何とかこの政略結婚を終わらせようと『顔合わせ食事会』の日までに、策を練る。母親達で決めた政略結婚ならば、光広は『婚前契約』をしようと思いつく。 (相手のお嬢さんに協力してもらって、3年くらいで離婚出来るように契約を交わそう。それで、俺は別の相手と…結婚すれば…) そう思い光広は『婚前契約書』を作成した。 1ヶ月経ち、約束の『顔合わせ食事会』を迎え、光広は母親と共に旅館の一室で相手が来るのを待っていた。そして襖が開けられ、光広の目の前に現れた彼女に驚き、声を失って見惚れた。 総絞りの豪華な着物を着て、髪を結い、見惚れてしまうほど綺麗な、松浦 くるみ。彼女は光広の同期で同僚、いつも憎まれ口で言い合いながら隣で仕事をしている姿とは別人のように……美しかった…。
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