帰省

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帰省

金崎旅館の外観が見えて来て、くるみは助手席のシートから背中を離し、背筋を伸ばして座り直す。くるみに緊張が走る。 「くるみ、大丈夫。緊張しなくていいよ。楽にして…」 「う、うん。でも……やっぱりここに来ると、現実を突きつけられるような感じがして、緊張しちゃうな…」 「くるみだけが背負う事じゃないからな。俺が跡取になるんだ。そのあとの事は、俺が決める」 「うん…」 「俺達はただ、2人で幸せになる。それだけだよ」 「光広……うん。ありがとう」 長谷川の言葉でくるみの体から力が抜け、緊張が少し和らいだ。車は旅館の前を通り過ぎ、先に見える脇道を左に曲がった。速度を落としゆっくりと奥へ進むと、2階建ての大きな屋敷が見えた。隣の駐車場に車を停め、後部座席のキャリーバッグを下ろし、長谷川がくるみの手をぎゅっと繋いで玄関へ向かう。 玄関アプローチを入ると、両側に手入れの行き届いた庭が広がっていた。小さな池が見え、水の音が聞こえる。カコンッとししおどしの竹がいい音を響かせていた。 長谷川が玄関の引き戸を開け、大きな声で「ただいま!」と叫ぶ。くるみの手を引いて玄関にくるみを入れると、長谷川は引き戸を閉めた。 奥からパタパタと履物の音が聞こえ、一人の年配女性が姿を現した。女性は玄関の床板に正座し、手をついてゆっくりとお辞儀をして言う。 「お帰りなさいませ、光広様。くるみ様」 「ただいま、トキさん」 長谷川が女性に声をかけると、ゆっくりと顔を上げ優しく微笑んで返事をした。 「光広様、お久しゅうございますね。この度はご結婚、おめでとうございます」 「ありがとう」 「ありがとうございます」 長谷川のあとに続いてくるみも礼を言った。 トキが2人にスリッパを用意し、くるみと長谷川は靴を脱いでスリッパを履き奥へ入る。キャリーバッグをトキが運び、2人を部屋へ案内する。中は広い座敷部屋がいくつもあり、襖で仕切られている。2階に上がる階段をトキが先に一段上がるとギシッと木が軋む音がし、3人が上がるごとに階段の軋む音が響いた。 2階には部屋が2つあるという。1つは光広の部屋、そしてもう1つは兄、敦広の部屋。敦広が帰って来なくなって5年が経った今も、トキが部屋を掃除し管理をして敦広がいた時と変わらず保っている。 トキが部屋の扉を開け、先に長谷川とくるみを中に入れた。部屋は12畳で和室。畳が新しいのか、イグサのいい香りがしている。 「あれ? トキさん。ベッド替えてくれたの?」 「はい。奥様からシングルベッドでは狭いからと、セミダブルベッドに変えるようにと」 「そっか、ありがとう。あぁ、荷物はそこに置いておいて」 「はい。では、こちらに…」 キャリーバッグを丁寧に部屋の隅に置き、トキは話を続ける。 「ご昼食はどうなさいますか? 12時にご用意出来ますが」 「あぁ、いいよ。ちょっとこの辺をくるみと散歩して来るから。夕食だけ用意してくれる?」 「了解致しました。では、ご夕食のお時間は、いかが致しましょう?」 「そうだな……夜の7時にお願い出来る?」
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