プロローグ

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「和香ちゃん? 今、光広って言ってたけど、もしかして次男の光広君?」 (えっ! ? 次男?) くるみは長谷川から隣に座る和香に視線を移し、答えを待つ。 「そうなの…」 フッと表情を曇らせ、和香は事の経緯を話し始める。 「長男の敦広(あつひろ)は今、家を出た切り行方不明なの。警察に捜索願いは出しているんだけど、まだ見つかっていなくて…」 「いつから? 敦広君はいつから行方不明なの?」 「大学を卒業してからだから、5年前ね。旅行でスイスに行くって出て、そのまま帰って来ていないの。事故とか事件に巻き込まれたんじゃないかって捜査をしてもらったけど、そんな事案はないって…」 「そう…」 「敦広の事は今もずっと心配しているんだけど、私には金崎旅館を守っていく事も大事なの。この120年、代々受け継がれて来た金崎旅館を、私の代で終わらせる訳にはいかないの」 「それで、次男の光広君に託したって事なのね」 「そう。光広はくるみちゃんと同い年なの。初対面で驚いたかも知れないけど、敦広とも幼い時に一度だけだったから、ほとんど変わらないと思ってつれて来たの」 「そうよね。光広君さえよければ、何も問題はないわ」 (いやいや、お母さん! 問題山積みだよ…) くるみはそう思いながらも口にする事が出来ず、話が進もうとしていた。 「あの、少し、くるみさんと話をさせて頂いてもよろしいですか?」 長谷川が母親達の話に割って入る。すると和香が答える。 「あとでゆっくり2人で話すといいわ。今日は顔合わせの食事会。まずは食事をしながら少し話をしましょう」 そうして『顔合わせの食事会』は始まった。 くるみが考えていた進行役がいる儀式のようなものではなく、ただ知り合い同志の食事会と言うような雰囲気。母親同士が親友だからか、堅苦しい順序などはなかった。 豪華な美味しい料理のはずが、着物を汚してはいけないと言う気持ちが先走り、料理を楽しめない。ぎゅうぎゅうと絞められて苦しい帯のせいもあり、くるみは箸を進められなかった。 何とか少しずつ料理に手をつけ、食事を終えて落ち着いた頃、長谷川が切り出した。 「あの、もうそろそろ話をしても?」 「ふふふっ、しょうがない子ね。いいわよ、2人で庭にでも行って来なさい」 和香がそう言うと長谷川はスッと立ち上がり、くるみに目で合図を送る。だがくるみは立ち上がる事が出来なかった。正座で座り続け約1時間半、足を崩す事も出来ず痺れを切らし、麻痺し始めていたのだ。 無言で眉間に皺を寄せ、困った表情で長谷川を見上げると、そっと長谷川が手を差し伸べた。くるみはドキッとして戸惑うが、長谷川は優しく微笑む。恐る恐る長谷川の手にくるみは右手指3本の先を乗せた。 すると長谷川の手はくるみの手のひらを滑り、手首の辺りを掴んで少し引き上げた。同時にくるみは体を上に持ち上げ、脚に力を入れて立ち上がる。ジーンと痺れの波が脚に走り動けずにいると、長谷川が声をかけた。 「大丈夫? 行こう」 「はいっ…」 長谷川が手を握ったままゆっくりと歩き出す。くるみもそっと足を踏み出し、庭に向かって歩く。部屋のガラス戸を開け縁側に出て、手を離し長谷川が先に庭に下りる。もう1足用意されている草履をくるみが履きやすいように置き、また手を差し伸べる。今度はその手をぎゅっと握り、くるみは草履を履いて庭に下りた。
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