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ダイニングで食器の割れる音がした。
「何すんの! このバカ親父!」
妹の優希の甲高い声が聞こえた。
僕は居間のソファに座り、NHKの大河ドラマを見ているところだった。
急いでダイニングへ行く。
親父と優希がテーブルを挟んで睨みあっていた。テーブルの下にフライと割れた皿が転がっている。
「私が何をしたっていうんだ! いきなり暴力をふるっていいと思ってんのか!」
優希はすごい剣幕で怒っている。手で左の頬を押さえているので、親父に引っ叩かれたのだろうと僕は思った。
パチン!
親父が今度は優希の右の頬を平手で打った。
「ふざけんなこのバカ親父!」
優希は形相を変えてテーブルを回り込み、親父に跳びかかろうとする。
親父ももう一度、優希に手を上げるような仕草を見せた。
僕は慌てて親父の手を掴んで二人の間に割って入った。
「いー!」
何とも言えない叫び声をあげて優希は僕の背中を叩く。
「親のことをバカ呼ばわりするとは何事だ! そんなやつをここに置いておくわけにはいかん。出てけ!」
親父も激しい剣幕で言った。そんな親父を見るのは初めてだった。
「出てくよ、こんな家なんか!」
半狂乱になって涙を流しながら、床をどんどんと踏み鳴らして優希は自分の部屋に行った。
親父の強張っていた体の力が抜けた。
親父はそこにしゃがみこみ、壊れた皿を拾いだした。
一週間後に優希は家を出ていった。
その間、親父と口をきくどころか、目を合わせず、近くに行くことさえしなかった。
僕たちの母親は二十年ほど前に亡くなっていた。優希を出産して間もなくのことだった。父はその後、再婚もせずに男手一つで僕たち三人の子供を育ててくれた。僕と弟、そして妹の優希。
弟は三年前から大阪の大学に行っていて、家に帰ってくるのは盆正月くらい。僕と優希は実家暮らしをしていた。
家事を当番制にしようと言い出したのは優希だった。比較的帰宅時間が早く、唯一の女性の優希が自分一人で家事全般を背負いこむことを嫌ったためだ。その他にも優希は共同暮らしにおいて幾つかの提案をした。僕や親父は優希よりも仕事に出かけている時間が長く、優希の提案のほとんどを僕は反対したが、親父は全てを受け入れた。
結局、多数決の原理で優希の提案事項は決まり事となった。家長の親父でも、長男の僕でもなく、末っ子の優希がこの家を取り仕切るような格好になった。
親父は僕たちが生まれる前から女の子を欲しがっていて、僕や弟の出産の時は、出てきたのが男の子だと知って大いにがっかりしたというのは身内で知られた話だった。だから三人目の子が女の子で、親父は格別に喜んだらしい。
かといって僕たちと優希を特別差別して育てたというわけではなかった。僕の知っているかぎり、優希だけ甘やかしてもいなかった。でも優希が物心つくまでの親父の溺愛っぷりはかなりのものだったと聞く。優希が幼い頃のことを覚えていそうな年齢になって表面的には特別扱いすることを止めたらしい。
それでも三人で暮らしていて、優希がいつもの時間に家にいないと、「優希は?」「優希はどうした?」とすぐに僕に訊く。大人になった今でも優希のことが可愛くて仕方がないのだろうと察しられた。
親父と優希がいつかそうなるだろうという予感はあった。
優希は今年二十一になるが、短大を卒業してからは食事の時の会話で、親父の言葉尻を捕らえて何かしらいちゃもんを付けるようなことがあった。
ずっと親父に対して優希は素直だったから、やっと反抗期が来たのだろうくらいにしか僕は思っていなかった。
でも何か月か経つと、優希の言葉の中にいかにも人をバカにしたようなものが混じるようになり、親父も快く思っていないのがわかった。
寡黙な親父は優希の言葉に対して少しの反論をしたが、それは大抵、優希の感情を害したようで、その何倍ものあまり好ましくない言葉を親父に返した。
僕は時々優希をたしなめたが、別に悪いことを言っているわけじゃないと言って、改めるつもりはないようだった。
親父は拳をぐっと握るように感情を押し殺していることがあるのに僕は気が付いた。だけど優希はそんなことに全く無頓着だった。
元々あまり話をしない親父と子二人の寂しさを感じる暮らしだったのに、女の優希がいなくなってさらに家の中は暗くなった。色が付いていたものが、家の中だけモノクロになってしまった感じだった。
優希は自宅から自分の職場を挟んで反対側の街にアパートを借りた。
それから一年間、優希は一度も家に顔を出さなかった。もちろん親父に連絡を取る事もなかった。
僕には引っ越したすぐにアパートの場所を知らせてくれ、その半年後に彼氏ができたとメールをしてきただけだった。
さらにその後の一年間は全くの音信不通だった。
その間に弟は大学を卒業して大阪の企業に就職してしまったから、僕と親父の二人暮らしは相変わらず続いた。
僕は弟とは連絡を取り合っていたし、優希も歳の近い弟とは連絡を取り合っていたようで、優希の身辺状況は弟を通して知るという日々が続いた。
親父が優希のことを知る唯一の方法は、弟から仕入れた情報を僕から聞くことだった。
優希が今何をしているかといったことを僕が話しても、親父は大して関心を示さないように思えた。
親父と優希はもう一生そのままなのかなと危惧した。
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