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そんなある日、僕の職場に連絡が来た。親父が仕事中に倒れたとのことだった。
僕は急いで弟と妹に連絡をして病院に向かった。
弟は親父の意識がないと聞くと、すぐにこちらに向かうと返事をした。妹の優希も病院に行くと言った。
受付で病室を聞き、行ってみると部屋の前に優希が立っていた。
「親父は?」
優希は黙って首を横に振っただけだった。
僕は最悪の場合を想定して部屋に入った。
親父は眠っているようだった。実際にすーすーと呼吸する音がする。
医師の話だと、まだ現状はよくわからないとのことだった。
夜になって親父は意識を取り戻した。
その時、親父のそばには僕と親父の兄の叔父がいた。
親父は弱々しい目で僕や叔父の顔を見た。
しばらくして弟が来た。その頃には少しずつ話ができるようになっていて、親父は弟とゆっくり話をした。ただ、そこに優希の姿はなかった。
数日、親父は安静にしていた。
癌だった。
昨年の会社の健康診断では前年の結果に比べて特別悪くなったところはなかった。しかしその頃には内臓の奥で癌が猛威を振るっていたのだろう。たちまちのうちに全身に広がってしまったらしい。
医師は手遅れで、もう手の施しようがないと言った。あと数日の命だろうとも。
優希は毎日病院に来ていたが、親父に会うことはなかった。この期に及んでもまだあの時のこだわりを持っている。親父も姿を見せない優希の名前を口にすることはなかった。
さらに数日が過ぎ、いよいよ親父の意識は混濁し、時々呼吸が止まりそうになった。
医師にそろそろだと告げられ、僕は身内に連絡をした。
僕と弟、それにあと数人が父のベッドを囲んでいたが、やっぱり優希はそこにいなかった。
苦しそうにしていた親父がぱちっと目を開けた。
「親父?」
僕は親父に向かって呼びかけた。
「優希。優希は?」
弱々しく親父が言った。
「優希なら外にいるよ」
「優希に、会いたい。優希に、会いたい」
親父はゆっくりと同じ言葉を繰り返した。落ち窪んだ目から滲みだすように涙が流れ出す。
僕は病室を飛び出した。
優希に電話する。
さっきまで一階のロビーに恋人といた。僕は急いでエレベーターに乗り込んだ。
「何? もう駄目?」
電話の向こうで優希ののんきな声が聞こえた。
「バカ! 早く来い! 死ぬ前にお前に会いたいって。親父はな、親父は・・・・」
電話に怒鳴る僕はいつの間にか泣いていた。
「親父はずっとお前に会いたかったんだ!」
一階ロビーの椅子に優希の恋人が座ってスマホを見ていた。
「優希は?」
「あ、今コンビニに買い物に行っています」
僕は病院の入り口に向かって走り出そうとした。
外からビニール袋を持った優希が走ってくるのが見えた。
「お父さんは?」
僕の前まで来て優希が言った。
「早く意識のあるうちに行ってやれ。お前に会いたいって泣いてた」
優希はハッとなったように買い物袋を落とした。そしてエレベーターに向かって走り出す。僕もその後を追った。
優希が先に親父の病室に飛び込んだ。
そのあと入った僕を見て、弟が俯いて首を振った。
「お父さん?」
優希が震える声を出した。
親父は呼吸をしていなかった。
「ごめんなさい、お父さん」
そう言って優希は親父に覆い被さるようにそこに崩れ落ち、シーツを掴んだ。
「ごめんなさい、わーん」
優希は悲鳴を上げるように泣き出し、その声が病室に響き渡った。
終わり
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