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十歳にしてはかなり小さい。
重い障害があるようだ。端正な顔だが目を固くつぶり、じっとりと汗をかき、辛そうな息をしている。
「病気なのか」
「小学一年に上がる時、大ケガをした」
エリーは彼女の額を、白いガーゼでそっとぬぐった。
「その時、住んでたのはもっと別の、10階建てのアパートだった。アパートの出口で、玄関にゲーム機が落ちていた。恵莉が気がついてそれを拾い上げた時、かなり上の階から消火器が落ちてきた。それが頭に当った。ようやく一命はとりとめたが、寝たきりになった」
エリーは、そっと上掛けをめくった。
子どもの体は苦しげにねじまがっていた。
「母親は?」
「この子が一歳になる前に出て行った。それからずっとボクが育てたんだ」
さっきのはヘルパーで、ふだんは毎日九時から六時までついてくれる。今日は帰るまでいてもらったんだ、という。
仕事の時は都合で長くお願いする、のだそうだ。
人のいのちを奪いに行く間、この命を守ってもらうんだ、サンライズは白いベッドのふくらみをみながら思った。
「事故に遭ってから、ここに引っ越した」
エリーがそう言った時急に、か細いうめき声がして、子どもの体がゆらりと動いた。うわがけがめくれ上がり、骨ばかりの肩がむき出しになる。ひじもひざもぎゅっと体にひきつけるように曲がり、狭いビンの中に押し込められたようにみえる。
彼女はそのままの姿勢でぱっちりと目を開いた。
「恵莉」
父親が呼びかけた。優しく。
恵莉は大きく見開いた目を、まっすぐ前、窓のほうに向けている。大きな窓からは東京の夜景がきらきらと、まるで宝石箱をひっくりかえしたかのように見える。しかしそれも目に入っていないようだった。首も思う方向に動かせないのか、頭がかすかにふるえていた。
「恵莉」
彼は子どもの肩に触れようと、手を伸ばした。その瞬間、電気でも流れたかのように体をのけぞらせる。
同時に、サンライズにも衝撃がはしった。
部屋の明かりがはじけるような音を立てて消えた。夜景のかすかな灯りの中に、火花が残像となって残る。
頭の中を、ボリューム最大限の轟音がかけめぐる。その中に叫びが聴こえた。
『ぱぱ、ソイツヲコロシテ』
ひび割れた、老婆のような声が頭の中に響いた。
『ニクイ』
「恵莉、違う、彼は助けに来たんだ」
『チガウ、ぱぱノ、テキダ』
「助けてくれるんだよ、恵莉」
風速百メートルの向かい風に向かっているような懸命さで彼は叫んでいた。
『コロシテ、ソイツヲ』
「だめだよ、なぜ」
『ソイツ』
サンライズの目の前に、一瞬の光景が続けざまにひらめいた。
アパートの出入り口に落ちている黄色いゲーム機。小さく丸い、女の子たちが夢中になっている、子犬を育てるゲーム、わあ、わんこっちだあ、だれがおとしたの? ラッキー、これならアパートでもペットが飼えるよね。拾おうとかがんで、何かが一瞬影をつくった。少し振り仰ぎ、赤い何かを目のはしにとらえ、そのはるか上、アパートの屋上近くの階段踊り場に、誰かが身を乗り出してこちらをみているのに気づき、次の瞬間、激しい衝撃。なに? 真っ暗になった。痛い、いたい。寒い。すごく痛くて息がくるしい。手が、コンクリートの床を激しく打ちつけている。自分の手ではないみたい。足も、どうしたの? 見えなくなった直前、上に誰かをみた。あれは、男だった?
そう、あれは
『ソノオトコガ、アレヲオトシタ』
イメージの中で、像が結ばれた。
アパートの上で身を乗り出し、一部始終を笑ってながめていたのは、サンライズの顔。
「嘘だ」サンライズ、叫んだがエリーには届かない。彼は一瞬はやく心を閉ざしていた。
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