1101人が本棚に入れています
本棚に追加
*
「幼馴染!?」
「作家の向坂智? 匠が?」
諸々の事情をお互いに明かした後、萩尾と智里は揃って大きな声をあげた。唯一、匠だけは涼しい顔をしてお茶を飲んでいる。いや、涼しい顔といっても、その表情は前髪で半分は見えないのだが。
萩尾は、今やヒットを連発し、あちこちの出版社から執筆依頼の絶えないという人気作家・向坂智の担当編集なのだという。向坂智の本は、智里も何冊か読んだことがある。映画化された作品もあり、それも見に行っていた。
一方、そんな向坂智の幼馴染という存在に驚きを隠せない萩尾は、ソファの背に倒れるようにもたれかかり、感嘆の息を漏らした。
「いやぁ、驚きました!」
「それはこっちのセリフです! 匠って昔から感受性が強かったし、そっかぁって納得ですけどね」
「先生の作品を目にした瞬間、僕は絶対にこれを世に出さなくてはと思ったんですよ」
「うわぁ……。匠、すごいね!」
興奮状態で匠を見ると、彼はフイと顔を背ける。愛想のない態度だが、付き合いの長い智里はわかる。それが照れ隠しであることを。
匠は昔から感受性が強く、笑ったり泣いたりと感情表現がとても豊かな子どもだった。どちらかというと、いつも泣いていたような気がする。
幼稚園の先生が絵本を読んでくれたりすると、それが楽しい話でも悲しい話でも泣いていたし、皆で散歩に出かけた時など、道端に咲く草花を見ても泣いていた。
そんなこともあり、匠は他の子どもから揶揄われることも多かった。元々人見知りということもあったので、それに拍車がかかる。匠と親しい関係が築けるのは、自分の家族と智里の家族、あとほんの一部の人間だけになっていた。
小学校の高学年くらいになると、匠は感情をコントロールすることを覚え、あまり表に出さなくなった。いつも淡々とした顔をするようになり、あまり人を寄せ付けなくなった。
それでも、その豊かな感受性がなくなったわけではない。ただ表に出さないだけ。智里はそれを心得ている。
相変わらずだなと思い、笑みが零れる。
「匠、変わってないね」
そう言うと、匠からは思いがけない返事が戻ってきた。
「……智里は変わった」
「え? どこが? え、もしかして老けたとか!?」
智里は両手で頬を押さえ、固まる。
もう間近に三十路は見えているし、仕事が忙しくて肌の手入れはサボリ気味。それに、あんなことがあったせいで身体は一度ボロボロになっている。
それに比べ、匠は。
「ずるいよ、匠は! 高校からまた背は伸びてるし、大人っぽくなってるし、肌なんかすっごく綺麗だし! なに? どんなお手入れしてるの?」
ショックを紛らわすために、匠に思い切り近づいて顔をマジマジと眺める。もちろん、長い前髪は掻き上げてだ。
「智里っ」
「どうしてこんなに前髪長いの? イケメンが台無しだよ?」
「……っ」
智里の勢いに圧され、匠はタジタジになっている。そんな様子を見て、萩尾が我慢できないといったようにゲラゲラと笑い出した。
「あはははは! 先生にこんな風に迫る人も初めてだけど、こんなにあたふたしてる先生を見るのも初めてだ!」
「せ、迫ってません!」
「萩尾さん、笑わないで!」
「あはははは!!」
笑いのツボに入ってしまったのか、萩尾は腹を抱えて爆笑している。
それに反応したのはリアンだった。大きな声に興奮したのか、リアンは尻尾をブンブン振りながら匠にじゃれつき、のしかかってくる。
「リアン! 落ち着け!」
「リアン、おすわり!」
リアンは二人の声が聞こえていないのか、言うことを聞かない。
しかしその時、コハクがリアンの身体を鼻先でグイグイと押した。リアンもそれには気付き、興味がそちらに移ったのか、コハクの方にすり寄っていく。
コハクとリアンはしばらくリビングを歩き回り、やがて二匹はソファの側まで戻ってきておすわりをした。どうやら、コハクはリアンの教育係のようだ。
最初のコメントを投稿しよう!