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「そこはちゃんとしてるよ。それに凛ちゃんは美人さんだし、凛ちゃんみたいに綺麗になりたいって、お客さんがいっぱい商品買ってくれそう」
「俺には、あれが美人とは全く思えない」
「匠の美醜感覚、昔からちょっとおかしいもんね」
「そんなことはない」
不貞腐れた顔で、また髪を掻き上げる。その度に露わになる面差しは、思わず見惚れてしまうほど端正である。これほどの素顔を前髪で隠してしまっているなど、勿体ないにも程がある。
しかし、匠がそうする気持ちもわかっている。
素顔を晒せば、人が寄ってくる。様々な感情を抱えて匠に迫ってくる。それを人一倍敏感に感じ取る匠だからこそ、避けたいのだ。
智里は匠の前髪に触れる。匠が驚いたように目を見開いた。
「今は、知らない人に会う機会ってそんなにないでしょう? 前髪、切ればいいのに」
「……偶にあるし、ずっと引きこもってるわけじゃない」
「なら、そういう時はダッサダサの眼鏡をかけるとか。帽子を深く被るとか」
「どっちも鬱陶しい」
「前髪も大概だと思うけど」
「美容院に行きたくない」
「なるほど、そうだよね」
匠のことだから、ギリギリまで我慢して、どうにもならなくなった時に美容院へ行くのだろう。悲壮な決意でもって。
その姿が容易に想像でき、智里は笑みを漏らす。すると、匠が智里との距離を詰め、耳元で囁いた。
「智里がやるなら、切ってもいい」
「!」
想定外に艶のある声だったものだから、背筋がゾクリと粟立つ。
匠は僅かに微笑んでいた。そこには悪戯心が潜んでいる。
揶揄われたと思えど、智里の体温はぐんぐん上昇していく。
「智里」
「な、なにっ?」
今度は何を言われるのかと警戒していると、匠はすでに笑みを引っ込め、淡々とした顔になっていた。
「俺の隣の部屋が空いてるから、そこを使えばいい。おじさんとおばさんには俺から話すから、二人が仕事から帰ってきたら智里の家に行こう。車を出す」
匠は心を決めたようだ。こうと決めたら早い。
「え……あ、はい」
「たぶん、うちにも寄らざるを得ないと思う。凛香があの調子だし、うちの両親もきっとノリノリだと思うから。ここに戻るのは遅くなりそうだな……。悪い」
「ううん、そんな! こっちこそ……ありがとう」
「夕方まではゆっくりしてろ。部屋に案内する。荷物は玄関だったな、取ってくる」
「え、ちょ、ちょっと! 自分で……」
「いいから。待ってて」
匠はリビングを出て玄関に向かう。その後をリアンが追っていった。
「クゥン」
ずっと側にいたコハクが智里を見上げている。智里はコハクの頭をそっと撫で、小さく微笑んだ。
「なんだかあれよあれよという間に、ここにいることになっちゃったみたい。……よろしくね、コハク」
コハクは元気よく尻尾を振った。それが「こちらこそよろしく!」と言っているように感じ、智里はまた笑った。
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