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「アーテル」とは、今SNSで大注目されているイラストレーターだ。まるで写真と見間違えるような写実的な絵も描くし、アニメーションのキャラクターのような絵も描く。とにかく多才なのだ。そして、彼の描くイラストはどれも今にも動き出そうなほど、活き活きとした生気に満ち溢れている。
彼のアカウントから絵がアップされた瞬間、ものすごい勢いで拡散され、アーテルのイラストは多くの人の目に留まることとなった。
アーテルは同人誌などを出しているわけでもなく、商業で仕事をしているわけでもなかった。あちこちの出版社が彼に声をかけたらしいが、彼が首を縦に振ったことはない。
アーテルは、謎の多い人物だった。
プロフィール欄には何も書かれておらず、時々イラストだけがアップされる。自身のコメントはない。何百何千というファンからのコメントがついても、それに対し返信することもない。唯一の情報といえば、アイコンが犬であることから犬好きだろうということだけ。「彼」といっても、男か女かも不明。
こんな彼だからこそ、もし首を縦に振らせることができればすごい快挙だ。彼が参加するイベントなら、大成功は間違いない。とんでもない数のギャラリーが押し寄せることだろう。
「でも、アーテルって商業の仕事は受けませんよね」
「同人誌で発表しないかって誘いも無視らしいぞ。SNSで公開する以外は興味ないみたいだよなぁ。勿体ない」
「SNSにアップするくらいなんですし、自分の絵を見てもらいたいって欲求はあると思うんですけど。ちょっと注目されてるからって、お高くとまってるのかも」
「それはあるな。一部では散々叩かれてるみたいだし」
俊樹と由希美の会話を聞いて、智里はなんとなくもやもやした。
二人は、アーテルの絵が好きなわけではないのだと思う。アーテルが参加すればイベントが盛り上がる、ただそれだけの理由で彼を呼びたいと言っているのだ。
こんな考えで彼に声をかけている輩は多いだろう。もちろん、彼の絵が純粋に好きだからという人もいる。しかし彼は、そのどちらにも反応しない。
ある種、彼は全員に対して平等だ。同人、商業、金銭が絡む絡まない、そういったことは一切関係ない。いっそ清々しい、智里はそんな風に感じていた。
そして、智里はアーテルの絵に惹かれていた。俊樹に言われずとも、彼に原画展に参加してもらいたい、密かにそう思っていたのだ。
「智里、ダメ元でアーテルに声かけてくんない?」
「え? 私が?」
「そう。俺は他の仕事もあるし、そっちで手一杯なんだよ」
「それなら手伝う……」
「あぁ、こっちは由希美に助けてもらうから」
「頑張りまーす!」
由希美が元気よく答える。「頼りにしてるぞ」なんて言いながら由希美の頭を撫でる俊樹を見て、また心の中がもやもやとした。
俊樹はどういうつもりなのだろうか。恋人の目の前だというのに、他の女と仲睦まじい姿を見せるなんて。
俊樹のそれは、単に後輩を可愛がっているというだけではないように見えた。何故なら、彼は最近智里には見せてくれなくなったような甘い眼差しで由希美を見つめていたからだ。
嫌な予感が心に影を落とす。
「智里も頼むな」
「……わかった」
それでも、俊樹に微笑まれたら嫌とは言えなかった。
由希美とはどういう関係なのか、聞きたいのに聞けない。彼の気持ちが由希美に傾いているなら、再び自分に振り向かせたかった。
智里は思い切って、アーテルのSNSにコメントを残す。だが、大量のコメントの中に埋もれるだけで、彼が智里に気付くとは思えなかった。一か八かの賭けにもならない。どんどんと増える彼へのコメントを眺めながら、そんなことを思っていた。しかし──
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